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病院の選択(再発の告知 番外編)

ちょっと前に「再発の告知」というタイトルで記事を書いていましたが、お気づきの方はお気づきの通り、厳密には「再発」と確定・告知される前の話でした。「癌には間違いなくて、たぶん再発だろうけど、もしかしたら原発の卵巣がんかもしれない」という状態。

だから、正確には「再発かもしれない告知」なのかな?すみません^^;このくらいの誤差は許容範囲ですよね?許してくださいね。

とにかく主治医も執刀医も、「恐らくS状結腸がんの再発だろうが、原発の可能性も否定できない」という立場で話を進めていました。

私は、癌が確定した後、落ち込みまくっている中、「せめて、原発であってほしい!」と願っていました。(結果として、S状結腸癌の再発だったと確定したのは、退院直前でした。)

なぜかというと。理由は、

①再発のほうが治療しづらいから。

②再発だと、元の初発を治療した病院に返されてしまうから。

②に関して、とても心配しました。だって、前の病院になんて、絶対戻りたくないから。(過去記事は、こちら ひどい病院!!ぷんぷんです!!)

私が再発から現在まで治療している病院はがん研有明病院ですが、ここには全国からたくさんの患者さんが来ます。他院からの転院の方もいます。なので、他院で治療歴のある人は、標準治療である限り、原則前の病院での治療を促されるようです。(とくに乳腺科などは、患者でパンパンらしい)

私は卵巣腫瘍ということで婦人科に新規で受け入れてもらっていたので、これが大腸がんとなると、消化器科に変わります。そうなると、前の治療した病院に戻されるかもしれません。

だから主治医に「前の病院に戻さないでください」とお願いしました。

「婦人科の一存では決められない。消化器科が受け入れてくれなければ、前の病院に戻ってもらう」と言われました。

同時に、「かわいそうだからここで診てあげたい。なんとか僕からも頼んでみるね」とも言ってくれました。

結果として、がん研で診てもらえることになりました。S状結腸癌の再発が確定してどん底に突き落とされた中で、唯一の明るい話題に感じました。

病院によって治療法が大きく変わるわけではないし、私が気に入って通院している病院に対して悪口を言う人もいます。だから、どこの病院が正解、というのは絶対にないと思うんですが、相性のいい病院て、あると思います。そういった病院に罹れる患者は、ラッキーだと思います。

私は東京に住んでいるので、幸いにいろいろな病院の選択肢があると思います。地域によってはこうはいかないだろうし、遠方から通うにも限界があると思います。経済的に通院が不可能な場合もありますよね。

自分の納得した医療機関にかかれることを切に願いますが、かなわないのであれば、その制限された中で、なんとか妥協点を見出して、患者と病院のよい関係を築けたらと思います。

↑ と、理想論を語るのはたやすいです。現実は、そううまくいかないから、困ったもんなんですよね。

できること、なにかなぁ。。。

ただただ、がんばろうね。病院(医師)を信頼することは、治療の大きな武器になると思うから。治療内容が不満だったら、セカンドオピニオンを活用したり。どうしても人間的に相性が悪かったら担当医を変えてもらったり。外部の支援センターを活用したり。

病気に苦しめられているすべての人が、納得のいく治療生活が送れたらいいな。そして、医療機関の人は、患者一人一人に寄り添える体制を全部の病院で構築してほしいな。

↑ また理想論になってしまった?自分が初発の病院で散々苦労したくせに、こんなことしか言えなくて、ごめんなさい。
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再発の告知 その3

続きです。前記事は、こちら → 再発の告知 その2

クリスマスコンサートのおかげで、告知を受けた夜は普通に過ごせたと思うのですが、やはり、元気ぴんぴんというわけではありませんでした。(当たり前ですがね)

毎朝、目が覚めるのが怖かった。これは現実ではない、夢だったのだ、というどんでん返しを、あれほど期待したことはなかったです。何をするにも、目の前に透明な壁があるような?どんよりした、なんともいえない感覚が続きました。

ふと、現実を考えると、いいようのない恐怖が襲ってきました。私はクリスチャンなので、教会の友達にメールして、とにかく助けてくれとお願いしていました。

まだ入院中だったから、病室やデイルームで一日を過ごします。院内だけが自分の居場所のようで、そこにいれば安全な気がしました。そして、外を見ては、退院が怖くて仕方なかった。病院以外の場所で生きていくということが、想像できませんでした。

初発の癌の手術後は、早く元気になりたい一心で、すぐにでも退院したかったのに。

今回は、ただただ、病院の中にいたい。守られていると感じていたい。外の世界が、地獄のように思えたんです。これが、「根治なしの再発」というものの恐怖なんでしょうかね?

もう、ワンコもいない。これも相当なショックだったはずです、私には。

そして毎日、デイルームと病室の間にある廊下で、10階の窓から下をみながら、「飛び降りたい」と考えていました。これからやってくる恐怖を考えたら、死んだほうがマシと思ったのです。どうせ死ぬのなら、苦しむ前に、いますぐ死にたい、と思った。

不思議と、涙は出なかった気がします。悲しいとかそういう感覚ではなく、ただ現実ではなくなってほしい、と思った。

これからやってくる恐怖。抗がん剤の苦しみ。死への恐怖。死ぬ前の激しい痛み。でもすぐには死ねない、死ぬまで続く、苦しみ。

そんなのから逃れたかった。

このころは、ひたすら、時間が過ぎるのを待ちました。今は何も考えるな、何もするな。時間がたてば、なんとかなる。自分に言い聞かせました。

同時に、母親のことを考えていました。あの人は何も知らないんだ。病状を伝えなくちゃ。でも、どうやって言う?「あなたの娘は、あまり長くは生きられないようです」?

母とは折り合いは良くないですが、一応、私を心配してくれているのはわかります。(その表現方法が下手っぴな人なの)

だから、やっぱり、私のほうが先に死んじゃうなんて、悲しむに決まっています。母の心情を考えたら、事実を伝えることができません。(今でこそ、母より長生きしちゃうかも?と思うこともありますが、当時は私、死んじゃう気満々だったんですね)

だから、看護師さんに相談しました。看護師さんは、勤務時間外なのに親身になって相談にのってくれました。

そして、私も勇気を出して、母に伝えることにしました。

そしたらね。

母ってば、「知ってたよ」だって。手術の直後の説明で、全部きいてたって。

おいっ(怒)私の心配は、なんだったんじゃいっ!!!「知ってて、今まで私と平気でしゃべってたの?!」

「だって~、彩本人にはとても言えなかったんだもん。そんなにひどい状態だなんてね~」だって。どーなんでしょ、あれは(--;)

でもまぁ、彼女なりに心を痛めていると思うので、許せました。私のことを思って、事実を伝えるタイミングを計ってくれてたわけだしね。

そんなこんなで、時間薬って、すごいですね。私、立ち直っていきました。無論そこには、看護師さんや医師たちの大きなサポートがありました。精神薬を使うこともなく立ち直れたのは、本当に感謝でした。

手術からは2週間以上も過ぎ、いい加減退院させられてもおかしくなかったけど、傷口がまだすこーし化膿していたのと、年末でベッドが空いていたのとで、まだ入院させてもらっていました。(外に出る勇気が出るまで)

そして、12月31日に退院しました。(月をまたいじゃうと、高額療養費の限度内におさまらないからね。落ち込みながらもしっかりしていた私です。)

外の世界は、こわかったですよ。これから、一人で、どうやって生きていくんだろう、って。どうやって、治療に立ち向かっていくんだろう、って。

でも、もう、仕方ないと思った。なっちゃったんだもん。なっちゃった以上は、暗くしてても意味ないもん。開き直りましたね。

そして、今に至ります。(むりくり?)

ところで、医師が言っていた「卵巣がほころびちゃっていた」の件ですが。

卵巣が横隔膜に達するくらいパンパンに巨大化していたので、いつ破れてもおかしくなかったわけですが、私には、自然破裂じゃなくて「もしかしたらあの時破れた?」と思い当たる節がありました。

再発がわかる数日前に、自転車で転んだんです。歩行者が飛び出したのを避けて、路駐していた自転車につっこんだのです。その時に、路駐自転車のハンドルが、右の肋骨下あたりに入ったんですよ。

出勤途中だったのでそのまま仕事をしていたのですが、まー、痛いこと。仕事を抜けて整形外科に行ったのですが、骨には異常なし。整形外科では卵巣の巨大化はわからず・・・。ずっと痛んでいたのですが、気にしていませんでした。

後になって、破れていた箇所が、どうもその時の場所と一致するんです。執刀医にそのことを話すと、「外からの刺激で内臓が傷つくのは、相当大きな衝撃のはずだけど、この卵巣の状態だったら、それもあり得るかも」とのことでした。でも、自然に破れたのかも、とも。

もし、あの時、自転車で転んだのが播種の原因だったら・・・あの歩行者、恨みますよっ。前を見ずに突然横ぎってきた男性。私がよけて転んだのを見ても、悪びれたそぶりもなく、平気で通り過ぎた。その顔をみたとき、「轢いちゃえばよかった」とまで思った、あのにくたらしい表情。

まっ、その前から播種してたんだろうけどね(^^;) 過去のこと怒ってもしょうがないですね。

もともと安全運転には気をつけていましたが、そんな事があって以来、一層自転車の運転に慎重になりました。

それに、車から見たら、自転車って、すごくこわいですもんね?ちょろちょろして。携帯をいじりながら乗ってる人もいるし。

これからも、自分の身を守るためにも、安全運転でいきたいものです(^^)

・・・・告知の話と関係ないですね。

長々と書きましたが、ひとまず、告知シリーズは終了です。(勝手にシリーズにしてるし)

次はなんのシリーズにしようかな?(ちがうし)

こんなシリーズでも、何かの参考になったかな~??? にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

再発の告知 その2

「再発の告知その1」の続きです。(前記事は、こちら→ 再発の告知その1)

術後の病状説明の席は、病棟内の小さな部屋でした。パジャマ姿の私と、執刀医の女医さんの2人だけでした。付き添いも看護師さんもいない。去年の12月20日のことでした。

私は、先に待っていた女医さんの姿を見て、ニコニコして座ったと思います。

先生の表情は憶えていません。どんな言葉で始まったかも覚えていません。憶えているのは、術中の画像を見せられたこと。大きく開いた腹部の画像を、PC画面いっぱいに拡大して見せてくれました。そこには、白い播種が、点々と散らばっていました。

開けてみたら播種があったから、子宮や大網を摘出しなかった、と言われました。今後の治療を考慮し、体力温存のため、最小限の手術(私の場合は卵巣摘出)をして、閉腹したと言われました。

腹膜播種については、知識がありました。最初に卵巣がんと疑われた際、卵巣がんの本を読んでいたんです。イメージとしては、「怖いものだけど、抗がん剤で治る」という感じでした。卵巣がんなら。

なので、播種ときいてもそんなにショックはなかったと思います。ただ、画面いっぱいに映ったまっ赤なお腹の中の画像が気持ち悪すぎて、先生に「ちっちゃくしてください」とお願いしました(笑)

先生は、何枚もの画像のひとつひとつの播種の結節を指しながら、「これが子宮」「これが横隔膜」etcと、説明してくれました。点々と散らばる、白い点。

「これって、良性のできものって可能性はないんですか?」

「うん。このタイプは、まず間違いなく悪性だと思う。」手術で採取した腹膜の大きな結節も、悪性の診断がついていました。

先生は、申し訳なさそうな声で言いました。

「卵巣が、破れちゃっていたんだよね。」

もっと早くに手術したかった、というような口調でした。でも先生自身が気を取り直すように「いま手術できてよかった」とも言っていました。

パンパンに腫れた卵巣は、一部が綻んで、中身が腹腔内に出ていた。だから播種になった・・・?かもしれない。卵巣への転移経路が血行性だったとすれば、そうなる。

でも、卵巣への転移がもともと播種性だったのかも、しれない。今となっては、「播種した」という事実があるのみです。先生は、播種しているから抗がん剤の治療しかできないと言いました。

ところで、私の「卵巣腫瘍」は「粘液性」でした。

これを聞いたとき、最初のショックが訪れました。粘液性の卵巣がんには、抗がん剤が効かないのです。(漿液性ならほぼ奏功)

「播種、してるんですよね?」

「うん。」

「で、粘液性ってことは、抗がん剤が効かないってことですよね?」

「うん。」

「抗がん剤が効かない癌で、播種してたら、私、死ぬってことですか?」

「・・・でも、効く場合もあるから!」

その先の会話は憶えていません。(ショックなことって記憶から消えるようにできてるんですかね?)

さらに、どのタイミングだったか、女医さんはこうも言いました。

「もとのS状結腸の吻合部に癌ができていて、腸がかなり狭まっている。いずれは再手術になります。」

この「再手術」という言葉だけで、かなりヘバりました。もう、大きな手術はいやだ。その時は弱気でした。

「手術して、人工肛門にすれば、腸閉塞の心配はなくなるから。」

え?????人工肛門、ですか?????

「うん。いずれは付けないといけない。」

そんなに心配しなくていいよ、人工肛門の人はたくさんいるし、いまの器具は良いものが出来てるし、と、先生は一生懸命励ましてくれました。が、私は、どどどーーーーーんと・・・ショックすぎました。女性ですから。

この時は、この世が終わってくれ、と思いました。今いるこの場所は、夢か幻では?とか(笑)

人工肛門自体も怖かったけど、その体になってまで生きていく勇気がなかったの。

そして、播種でしょ。大変なものだとは思っていた。切除不能なことも、知っていた。どんなに小さな播種でも、予後は非常に悪いともきいていた。

どんな風に面談が終わったのか、全然おぼえていません。面談中に涙が出たのかも憶えていません。

ただただ、ショックで、一人ぼっちで。周りの景色が、見えているのに頭に入ってこない感覚でした。

播種なんだ。人工肛門なんだ。播種なんだ。人工肛門なんだ∞

ぼーっとしながら、自分の病室に戻りました。

自分のベッドで思い切り泣こうと思いました。カーテンしめきって、心行くまで泣こう、と。

そしたら。病室の手前で、同じ部屋のIさんに呼び止められました。

「彩さん!どこ行ってたの?クリスマスコンサートの時間よ。いま、他のみんなも1階へ行ったから、彩さんも行ってらっしゃいよ^^」

その日はちょうど、院内のクリスマスコンサートの日だったんです。

「私、そんな気分じゃないです。いま病状説明されて、ショックで。播種だって・・・。」

「なに言ってんの!私だって播種よ~^^。でも私、元気でしょ?落ち込んでるなんて、損よ。クリスマスコンサート、いってらっしゃい!楽しんでらっしゃい!」

「Iさんは行かないんですか?」

「私は、ちょっとお腹の調子が悪くてね。行きたかったんだけど、ちょっと無理みたい^^;。彩さんは行けるうちに行っときなさい!」

Iさんてば、強引だよなー。と思いました。私はいま、それどころじゃねーんだよ!と、思いました。

でも、行きました、クリスマスコンサート。

元宝塚の春風ひとみさんのコンサートでした。1階の広場で、ピアノに合わせて歌って、踊って。。。車椅子や点滴棒のお客さんたち、笑顔が多かった。私も、自然と笑顔になりました。そして、じんわり「生きてるだけでいいんだな」と思いました。だって、こんなに綺麗な歌声をきけて、こんなに面白い芸が見れるんだもん。一緒になって歌っていました。

病室に戻っても笑顔の私が、いました。Iさんに、ありがとう、って。Iさん、「行ってよかったでしょう?」なんて言いながら、私の病状説明の話を聞いてくれました。

「それはショックよねぇ。泣きたかったら、泣けばいいよ。でも、いつまでも泣いてちゃ、だめよ。もったいないもん。それに、人工肛門を付けられるだけ、ラッキーなのよ。私は人工肛門も付けられないのよ。すぐに閉塞するしトイレは近いし、辛いわよ。できるなら人工肛門にしたいわよ。彩さん、ラッキーよ♪」

そんなふうに励ましてくれました。その時はちょっとムカっとしなかったでもないけど、今では、Iさんの言葉の意味がよくわかります。

Iさんは、このブログにも書きましたが、今年の6月に亡くなりました。クリスマスコンサートから半年も経っていませんでした。

あの時、Iさんが「クリスマス会に行っておいで」と言ってくれて、本当に救われました。巡り逢わせに感謝しています。

さて。告知を受けたあとの状況や心境、そして、「卵巣が綻んだ事件」についても記しておきたいのですが、またまた長くなったので、次回もちこしです。「その3」へ続きます~。(またですか?) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

再発の告知 その1

たしか、2012年の11月6日だったと思うんです。再発に気づいたのが。もうすぐ1年ですね。(なんで詳しい日付を憶えていないかというと、ちょうどその頃スマホが壊れて、記録が全部すっとんでしまったからです。あー、日記がわりに保存しておいたのに。つくづく、紙媒体って良かったな、と思った次第です)

(たぶん)11月6日、区の子宮がん検診を受けに近所の婦人科を訪れました。その頃の体の状態は、卵巣がパンパンに大きくなっていたのですが、自覚症状はなかったため「ずいぶんお腹が太ったなぁ」というものでした。ちょうど職場の異動や研修、資格試験などでバタバタしていたので、ストレスで食べ過ぎて太ったんだろう、くらいに思っていました。気持ちは元気だったのでね。

今にして思えば、ウエスト回りだけが太るという、典型的な卵巣腫瘍パターンだったのですが、当時はそんなの知りません。

私の腹を見た医師は即座に、保険診療に切り替えると言いました。そして、「なんで受診しなかったの。この大きさは異常です。すぐに大腸癌の治療をした病院に行きなさい」と言いました。

その病院の帰り道は、泣きながら歩いていました。「癌が再発したかもしれない」という事実に。(医師の口調は、こうして文字にするときついですが、実際は穏やかでいたわってくれているのがひしひしと感じられました)

人のいない路地に入って、座り込んで泣きじゃくりました。友達に電話して「死んじゃうよぉ」と泣きました。

さてさて。その後、めぐりめぐってがん研有明病院を受診。(経緯は、ここ

卵巣嚢腫の疑いなので婦人科を受診しました。たまたま紹介された先生は「卵巣がん 権威」で検索したらトップに出たような有名な先生で、事前にYouTubeで先生の話す動画を見ていたので安心していました。映像の通り、穏やかで、お年寄りですが目は鋭い先生。その先生が初診の最後に「一緒にがんばりましょう!」と、手を握ってくれました。これ、ポイント高かったです。安心感が違いました。

その時の予測では、良性かもしれないし、境界悪性かもしれない、というものでした。もちろん、悪性の可能性もありました。が、私はなんだかお気楽でした。(一度だけ、「たぶん良性ですよね♪」と言ったとき、「そんなに簡単に考えちゃいけない!」と叱られましたがw)とにかく、診断のためには開腹しなければなりません。卵巣なのでね、カメラも入らないし細胞診もできない場所ですから。

そして、入院・手術と続きました。手術は2012年12月12日12時。12ばっかりで、よく憶えています。朝一の手術ではなかったことも、私に「たいした病状ではない」と思わせる一因でした。

のんきに入院してのんきに手術を受けました。手術に合わせて上京してくれた母も、のんきでした。私のことより、同時期に体をこわしたワンコのほうが心配でした。母ともワンコの話ばかりしていましたね。「ワンコの手術、大丈夫かなぁ」って。

後に、ワンコは、私の手術の日の朝、死んでしまっていたことがわかるのですが。(ダメだ、まだ涙が出ます)

自分自身のことは全く心配せず(だって大きな手術は3度目だし)、手術室に入っても看護師さんたちと笑っておしゃべりして、婦人科の主治医の先生も麻酔がかかる前に来てくれて、「間に合ってよかった~」なんて手を握ってくれて、主治医と別の執刀医の先生も笑顔で、安心しきって麻酔にかかりました(笑)

(主治医は高齢のため、手元が心もとないということで、執刀からは引退したそうです。でも担当患者の大きな手術には立ち会い、執刀医に指示を出しているそうで、判断は全て主治医が行うとのことでした)

私は寝てるだけなので、手術はすぐ終わりましたよ^^。12時過ぎに入室して、17時頃には麻酔から覚めていたと思います。不確かだけど。

麻酔から覚めて、まず質問したのは、「子宮は残っていますか?」ということでした。

術前の説明では、

①まず卵巣を摘出する。腫瘍が大きい(数キロありました)から両卵巣全摘。

②術中の迅速診断で「悪性」と診断されたら、子宮と大網も摘出する。「良性」であれば、子宮は残す。

というものでした。「境界悪性」だった場合はどうなのかは憶えていません、ごめんなさい。

とにかく、“子宮が残っていれば悪性ではない”と思っていました。

だから、麻酔がさめてすぐ、そこにいた看護師にききました。「子宮は残ってますか?」「ハイ^^。」
そっかー!!悪性ではなかったのね^^。

そして、母に。「子宮を残してくれたんだから、悪いもんじゃなかったんだね。」「・・・うん。」
「ぽぷ(← ワンコ)は?」「・・・うん。大丈夫みたいよ。お母さんも詳しくきいてないの。」← このとき、もう死んじゃってた。

目が覚めてしばらくして、主治医が術後回復室に来てくれました。青い手術着姿でした。なんか、こんな早くに医師が会いに来てくれるって、前はなかった・・・。いい先生だな~(← のんき)

先生は、おだやか~な目で、悟りの境地のような笑みをたたえていました。この表情が、ものすっごく記憶に残っています。私が「とったのは卵巣だけなんですよね。手術も早く終わったんですよね。良かったです^^」みたいなことを言ったら、微笑んで、「うん。手術はうまくいったからね。大丈夫だよ。これから、一緒に治療していこう。心配いらないからね」みたいなことを言いました。

ん?これから、治療?すんだのに?良性なのに?

ちょこっと不安になって、「なんか・・・悪い物だったんですか?」と聞いたらば、「今は眠りなさいね。なんにも心配いらないから。」そう言ってくれました。その後の記憶がないので、私は眠っちゃったのかもしれません。

少したってから、今度は執刀医の若い女医さんが来てくれました。

「傷は痛くない?」と聞いてくれて、ハイ、と目を合わせたら、ふっと視線をそらしたんですよ。先生、なんで目をそらすの?なんで目を見て、「無事終わりましたよ」と言ってくれないの?

だんだん、不安になってきました。先生にその不安を告げると、先生は困ったように微笑んで、「手術は成功したのよ。予定通り。だから、心配することはないの。大丈夫よ」と言ってくれました。私より10も若い先生ですが、私は、「成功」ときいて安心したし、先生の言葉は信じるに足る落ち着いたものでした。

その夜は、術直後の、長い長い夜でした。気持ち悪さと痛さで朦朧とする中、「大丈夫、なんともない。心配いらない」と自分に言い聞かせていたと思う。

さて。手術後の、本人への病状説明がありますね。待てど暮らせど、この説明の予定が入れてもらえません。傷口の化膿があって退院時期も遅れたのですが、あの程度の化膿なら退院させられたはずなのに、私の「化膿が治るまで、こわいから入院していたい」との希望をきいてくれました。

その間、ワンコの死を知らされ、ベッドで泣きじゃくったりもしていました。

やがて、手術の結果を聞くことになりました。一人でききました。

ここで、初めて、「腹膜播種」を聞かされることになります。

ながーくなってしまったので、続きます。

(以前の記事と同じことを書いている箇所もあると思いますが、新たに読まれた方にも解り易く書きたいと思ってこうなっています。読みづらい点、ごめんなさい。) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

最初の告知

癌の告知。ドラマでよく見るシーンと現実とでは、様子が全く違うというのは、がん患者さんやご家族はご存知ですよね。あっさり告知されて驚く人が殆どに思えます。ドラマ、どれだけ演出してるんだよっ。て感じ。(中にはドラマ通りの告知の人もいるのかな?)

で、私の場合はどうだったのか、記しておきます。

最初に告知されたのは、2010年8月。都内のM総合病院でした。下血と激しい腹痛で救急搬送されたものの、「痔です!」といって家に帰され、翌日受診するも、一般内科で再び「痔です」と帰されそうになったのを食い下がって、大腸内視鏡の予約をいれた。

そして、検査。例の2リットルの下剤を飲んで、その威力に驚きながらも張り切って(?)病院へ行き、お尻から内視鏡を入れられて間もなく、医師の手が止まりました。S状結腸に大きな腫瘍。内視鏡が先に進めなかったです。

その時は私は画面を見ていなかったし、初めての下部内視鏡だったので検査がどんなものかも知らなかった。なので、やけに早く終了したことに疑問も持たず、「なーんだ、胃カメラに比べたら屁のカッパじゃん」くらいにお気楽でした。何かあればその場で切り取ると信じて疑わなかったので、「切った気配もないし。なんにもなかったのか~。痔だったのか?」ぐらいにお気楽。

この時の担当医は、とっても若い男性でした。おとなしそうな、気の弱そうな人で、たしか、独り立ちして1年目と言っていた気がする。私は「誰でも初めての時があるもんね。内視鏡の練習台にしていいよ」と内心思っていました。手術じゃないんだから、いいよ、って。

で、この新人先生が、私の検査後、動かなくなったんです。

私が「どうだったんですか?」ときいても、無言。何かをじっと考えている。

やがて、言いました。「早急に消化器科を受診してください。その時、ご主人を連れてきてください。」

私、「主人は休みが取れないんで、来れません。家族は他にいないので、一人で来ます。大丈夫です。」みたいなことを言いましたが、先生は、「いや、ご主人を連れてきてください。なんとか休みをとってもらってください」の一点張り。

私、おかしいなあ、と思い、「なんか大きな病気なんですか?」と訊きました。医師は、「それは診察の時に消化器の医師からお話しします。」「とにかく、今はお話できないので、次回、ご主人と一緒に診断をきいてください。」

さすがに、「あ、癌なんだな」と思いました。案外、ケロっとしていました。むしろ、自分のことよりも、こんな病気を見つけてしまった新米先生のプレッシャーが心配で、そっちのほうが心苦しくなりました。

後日、消化器科の医師から、「癌です。」と普通に言われました。まるで、「風邪ですね」とか「食あたりですね」とか言う町医者の言葉のように。

私は「はぁ」とかなんとか言っていたと思います。隣で主人がびびりまくっていたのは覚えています。(← さんざんぶうたれていたのを無理矢理こさせた。)

あ。痔かどうかのほうが気になって、確かこのとき確認したと思う。いや、内視鏡の時だったか?どっちでもいいか。痔はなかったんですよ~。

で、帰宅して、普通に夕飯の支度をしていたら、夫がキッチンに来て言いました。「なんでそんなに普通にしていられるの?癌だよ?オレ、どうしていいかわかんないのに。」と。彼はおろおろしていました。私は、「切っちゃえば治るって先生いってたじゃん。だから大丈夫だよ。ちょろっと切ればいいんでしょw」とか答えていました。

夫は、開腹手術に対しても不安が大きかったようです。お腹を切るんだよ?!なんでそんなに平然としていられるの?!と。

でも、その数年前に、もっと大きな手術の経験があった私には、お腹を開けるのはまったく恐怖ではなかったんです。

そう、その手術の前、成功率が低いこと、成功しても植物人間になる可能性が高いこと、失敗したら死んでしまうかもしれないことなどを告げられていました。この経験があったから、癌の告知もなんともなく受けられたのかも。


まぁこんなふうに、初めて癌になったときは、なにやらお気楽な私でした。治ると思い、再発なんかしないと信じていた。

それでも、泣いたのかなぁ。覚えてない。ただ、夫があまりにもびびっていたので、不安を与えないよう明るく振舞っていた記憶はあります。


あれから3年が経ちました。その間に再発して手術して抗がん剤して。そうだ、病院も変わったんだな。ついでに夫も消えたな。

再発の告知のほうが、ショックが大きかったです。比べものにならないくらいだった。再発のときは・・・恐怖しかなかったような。記憶が薄れる前に、いつか記そう。


余談ですが、術後の経過観察中に行った内視鏡検査は、泣くほどつらかったですよ。初めての内視鏡で「ちょろい」と思っていた私は、油断しまくっていました。そりゃそーよね、S状結腸すら越えなかったんだから。

きちんと上行結腸まで行ったときは、ほんと涙目でした。

月日がたって、3年前に想像していた自分と全く違う自分が今、います。ひとりで闘病している。(いや、闘病ってほどじゃないな。)ちょっとさびしい時もあるけれど、これも私の人生。案外、悪くないかもですよ^^ゞ にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ
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彩

Author:彩
2012年12月、S状結腸癌再発。腹膜播種、卵巣転移。
初発は2010年ステージ3aでした。根治手術からちょうど2年後の再発でした。
現在は、標準治療を終えて、ホスピスで緩和ケアを受けています。
東方神起の復活まで生きたいなー。ムリかな(^^;)

2016年3月20日永眠

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