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兄とのひととき(^^)

一昨日は、兄が田舎から会いに来てくれました。私の病気が悪くなってから割と頻繁に会っていたような気がしていたけれど、それでも2~3回かな?

だけど、ホスピスに入るにあたってBlu-rayを見られるヤツを送ってくれたり、PC用のスピーカーの目星をつけてくれたり、と、以前に比べて、何度も連絡をくれるようになりました。

小さい頃は、とっても仲良し兄妹だったんですよ。でも、兄も私も大学進学を機に実家を出て、以来、疎遠になりました。そんな感じのきょうだいって珍しくないですよね。年に一度会うか会わないか。たまに親戚の法事で顔を会わせて、「元気か?」「うん。」いじょう!みたいな(笑)

んで、兄は、親戚のみんなにはニコニコしてしゃべるのに、私には無愛想な感じです。あまり笑わないし。共通の話題もないし^^;

んで、一昨日は、母と兄と親戚3人と私の計6人で、ホスピスの家族室におにぎりを持ち込んで、ワイワイとお昼ご飯を食べました。畳の部屋で、小さなテーブルを囲んで話が弾んでいたのですが、何かの拍子で、私と兄だけが部屋に取り残された瞬間がありました。兄は隣に座っていました。

それまで私は、自分の病気について、XELOXの頃に一度細かく説明したことがあるだけで、今の自分の病状を兄に話す機会がありませんでした。ただ、母が「お兄ちゃんにも病状は伝えてある」というので、そう思っていました。

だから、その二人きりで静かになった間に、兄に言いました。

「お兄ちゃん、私の今の病状とか、知ってるんだよね?」

「うん。でも元気そうじゃん、飯も食ってるし。」と、安心したように言われました。だから、一応ね、

「とりあえず今はステロイドを内服していて、おかげで食欲は出たし倦怠感もなくなったし、すごい助かってるんだー。でも、この薬も、いつ効果がなくなるかわからないんだって。結局ホラ、悪化していくだけの人のQOLを上げるのを目的に使われてるわけじゃん?その効果が続いて一年以上ホスピスで元気に過ごした人もいれば、2~3ヶ月で突然サヨナラ、って人もいたんだって。」

と、話しました。

兄は驚いて私の顔を見て、「えっ?!それは、彩の考えじゃなくて、主治医が言ったのか?」と言うので、「そだよ。ていうか、私がネットで調べてそういう情報があったから、それをそのまま先生に質問したの。そしたら、私の場合はその通りの処方だって言われたの。ステロイド=末期とは違う場合もあるそうだけど、私のは、それなんだってさ。」

「てことは、なんだ?これから何年も今のまま元気で、ってのはないってことか?」「うーん、ないわけじゃないんだろうけど、今んとこは、先生はそう見立ててるみたいだし、その見立ては変わるかもしれないけど。でも、来年の夏までは無理だろう、みたいに言われたよ。」私はあっけらかんとして話していたと思います。

兄は、「ふーん。」みたいに言って、私と反対側の窓の外に目をやりました。そして、

「そうなんか」みたいなことを言いました。

ここで、親戚と母親がガヤガヤと戻ってきたので、話は終わり。兄は、「ちょっとタバコ行ってくるわ」と言って立ち上がったのですが、立ち上がりざまに、私の右肩に左手で軽く触れました。ポンっと叩くというよりも、なんだか、ほんとはもっとちゃんと手を置いてやりたいけどかっこ悪くてできない、みたいな感じに、私には思えました。

そういや、兄とスキンシップ(?)なんて、何十年ぶりだろう(笑)

なんか、涙が出そうでした。お兄ちゃん、私のことを今も可愛い妹だと思ってくれてるんだな、と、思いました。(オバサン化してしまったけれど。)すごく、嬉しかったです。


親戚たちとわいわいしゃべっているうちに、いつしか話題は、40年前の各自の思い出話の暴露大会に変わっていきました。兄や私や従妹たちが生まれたり子育てで大変だった頃の、あんなことこんなこと。「えー、そんなことがあったの?」って話が沢山飛び出して、大笑いしていました。不幸話もあったのに^^;

私は、兄との思い出のうち一つを話しました。

「お兄ちゃんさ、まだ私らが小さい頃に、しょっちゅうおばあちゃん家に二人で行ってたじゃん。あの帰り道の途中に小さなお墓があったの、覚えてる?私、あれがすっごく怖くてさー。お墓んとこ通るときは猛スピードで自転車こいだの。なのにお兄ちゃん、いつも先に行っちゃうんだよ、ピューって。私、ほんとに怖くて、離れないように必死でついていったのにさ、なんでいつも私を置いていっちゃったのっ?」って。お兄ちゃん、こんな事おぼえてないだろうなー、と思いながら。

そしたら、兄。ボソッと、

「だって、俺もこわかったんだもん、あのお墓。」

だって(^^;)

40年以上たって、私は初めて、兄もあのお墓が怖かったのだと知りました。

そんな四方山話もあっという間に終わり。近郊の親戚は先に帰って、母ともう一人の親戚とが駐車場でお喋りしてる間に、兄が車のこっち側にやってきて、「年内に○○(←義姉)を連れてまた来るから。元気でやってろよ。」と言ってくれました。

なんか、子供のころと全く変わらない兄が、そこにいました。


そうそう。この日、私は3年ぶりくらいにタバコを吸っちゃいました。母は私の前では絶対に吸わないんですが、兄が結構吸う人で、二人が目の前で吸っているのをみて、吸いたくなった。といっても好んで吸いたいのではなく、逆に、どんだけまずいものを私は吸っていたんだろ?という確認作業。

癌が再発してからパッタリ禁煙し、今ではタバコが大嫌いな私。案の定、一口も吸わないうちに、

「いらん、これ!」と母に返し、「よくこんなもん吸ってたなぁ、私。」としみじみ思いました。あー、煙かった。
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母の思いやり。

一昨日から2日間、外泊許可をもらって自宅マンションに帰っていました。今は病室にひとりでポツンとしています。

母は今日、一時的に田舎に戻ったので、その前に、私も母のいるうちにマンションに戻った次第なのですが、外泊の最大の目的は、「ケンタッキーのハロウィーンバレルを食べたい!」というものでした(笑)

一昨日、元気にホスピスを出発して、自宅近所のケンタへ直行したのですが、さすがに2人でバレルは食べられない。ということで、小さなセットにしました。久しぶりのケンタは、本当に美味しかった!母も、普段そういうものを食べつけないので、初めて食べるケンタに、「おいしーー♪」と喜んでいました。

半月ぶりに帰った我がマンションは、すっかり母親仕様になっていて、私の居場所がどんどんなくなるような気がして少しさびしくもありましたが、でも、一人暮らしの主を失った部屋を清潔にキープしてくれている母には、大感謝です。

その夜は、母ともどもハマっていたドラマ「夜警日誌」の、見逃した回の録画を一緒に観て、ストーリーのいろんな謎がとけました。

他にも、私はここぞとばかりに過去に録画した東方神起の番組を観まくっていたのですが、なんと!“東方神起”の名前すら覚えられず「あの韓国人」と呼んでいた母が、録画をみながら、「あら、ユンホさんが出てるじゃん。」とのたまいました!

驚きました。以前、ユノの出ていたドラマ「野王」に母もはまって(ハマりやすいのは私と同じ)、ユノを役名の「ドフン」と覚えてしまい、以来なにを見ても「ドフンさんが出てるよ」と言っていた母。

夜警日誌を見るようになっても、「ドフンさんが出てるんだね」と言っていたけど、いつしか、きちんと「ムソクさん」(←夜警日誌での役名)と呼べるようになっていました。

それからです。私がホスピスに入ってから、どこでどう飛んだのか、母の中でちゃんと、「ユンホさん」になっていた!しかも、「ユノさんていうのは、ユンホさんのことなの?」との、上級な(?)質問まで飛び出しました。

びっくりしたけど・・・うれしかったなぁ。覚えようとしてくれたんだろうなぁ。そういえば、看護師さんが病室で東方神起のポスターを見たとき、

「娘がいい年してこんな若い男の子のファンで、親としては恥ずかしいんですけど、でもこのユンホさんていう人は、すごく真面目そうな、良い人なんですよ。」

なんて切り出し、

「というのもね、娘が見ていたDVDで、楽屋裏でのユンホさんの様子をやっていたのでなんとなく見てたんだけど、周囲に気を配って、仕事には厳しくて、本当にいい息子なんですよ~。」

とか言っていた。うわー、そこまで見ていたか!私は、首をぶんぶんと縦に振りながら、でもなんか不思議な気持ちになって、母を見れなくなっていました(^^;)

母、まさかの、ユノペン宣言?!・・・・・きっと、私を喜ばせたい、私に笑っていてほしい。その一心なのだと思います。


さて、翌日。つまり昨日は、近所のファミレスに行きました。前日たまたま目に入っていた、「牡蠣フェア」の幟。私の熱烈なリクエストにより、気乗りしていなさそうな母に付き合ってもらいました。牡蠣のドリア他をいただきました。前日のケンタに続き、癌の治療中にはめったに口にしなかったメニューばかり。

テーブルいっぱいに置かれたお皿を前に、「嬉しいな♪たとえ薬のおかげでも、こうして食べたいものを食べて、おいしいって思えるって、ホント幸せだな♪」と、ひとりはしゃぎ気味な私。たぶん、母も喜んでたんじゃないかな。

とか言って、文面だけだとまた良い母娘にみえると思いますが、ものすごい口げんかを1回と、小さなどーでもいいケンカを何度も何度もした、この二日間でした。


母親は、私に対してとても気を遣ってくれています。探し物をしていて、たまたま昨日見つけてしまった、母のメモ書き。そこには、ホスピスに入るまでの私の毎日の様子が書かれていました。

「彩、涙を流しながら痛みを訴える。どうしよう、とおろおろする私に、お母さんは、ただ大丈夫だよって言ってそばにいてくれればいい。それだけで安心するから。と言われた。これでは、どっちが励まされているんだか分からない。」

「今日の彩は、調子が良さそうだった。起き上がっている時間がいつもより長かった気がする。」

「とても良い天気だった。彩と一緒に遠出したいが、彩の具合が悪そうで、かわいそうだった。もっと効く薬はないのかな?」

こんなふうに、私のことを見ていてくれたんだ。そして、私も、母に気を遣っている。それは、変な気の遣い方ではなくて、相手への気遣い。愛情のひとつ。昨夜は、夜中の3時におへその腫瘍が出血してパッドから血が漏れ出てしまったので、音をたてないようにパッド交換をしていました。そしたら、隣の部屋で寝ていた母が起きてきた。交換は一人でできるから何をするわけでもないのに、黙って見ていてくれた、母。

いくらケンカをしても、頭に来すぎて家を飛び出しても(←昨日の私^^;)、特に仲直りの言葉なんてなくても、自然と笑い合っている。(たいてい、美味しいもの食べて^^;)

だけど、あまり仲を修復しすぎてしまうと、この世界で「やり残したこと」がなくなってしまう気がして怖いので、もうちょっと、やり残しておきたいかな(笑) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

年明け早々、涙々。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

と、ご挨拶したのはよいのですが。一昨日から、涙がずるずると止まりません。

悪い話ではないんですよ。寧ろ、良い話のほう。

30日に田舎に帰り、昨日まで母と過ごしていました。3年ぶりに訪れる実家。2年前に母と大喧嘩をし、それ以来ろくに会っていなかったし話もあまりしてきませんでした。

たまに電話で話す母は、元気そのもの。なので、元気に迎えに来てくれると思っていました。

が。実際母は、両手と足を傷めていました。右手の親指に痛み止めの湿布を貼り、左手はギプスで固定。膝は水が溜まるとかで、水をぬいてもらったばかりのようでした。

良く見たら、手の指は全部曲がっていました。若い頃の綺麗だった手の面影もなく、痛そうです。

なのに、いっぱいの笑みで笑っています。きっと、弱音も吐きたいだろうに、私の前では笑っている。そして、私の体の心配ばかりする。

母は、私が幼い頃、いつも仕事に行って家にいませんでした。一緒にいて欲しいときに、絶対にいてくれなかった。母に抱っこされた写真は1枚しかありません。

よく憶えているのが、子供のころ、一人で留守番をしていたら、雷が鳴り始めたとき。怖くて怖くて、泣きながら母に電話をしました。母は、もちろん戻ってきませんでした。代わりに、言いました。

「ピアノを弾いていなさい。そしたら、雷の音が聞こえなくなるから。」

私は、ピアノを一生懸命ひきました。

母は、私のことなんか好きじゃないんだ、という気持ちは、その頃から徐々に作られていったのだと思います。

私を生まなければ良かったと言ったことも、つい最近まで心にひっかかっていました。

だけど、今の私なら、一時の感情に流されて言ってしまった言葉だろうと思えます。私が癌になってからの2年間、母はいつでも私を最優先にしてくれました。それは分かっていた。だけど、心のどこかで、「それが親の義務だから、私に優しいだけなんだ」と思っている自分もいました。

でもね。昨日、家を出る前に、母がおにぎりを握ってくれたんです。湿布から出ている4本の指と、ギプスの上からビニールを被せた手で。お米がぐっちゃぐちゃになって。どう見ても、握れるわけがなくて。

「なにやってんの?」って聞いたら、彩のおにぎりを握るんだ、って。

前の晩、おにぎりを持っていくかと訊かれたので、持っていくと答えました。でも握れないだろうから、私にぎるよ、と言ったのに、お母さんが握るから、いいよ、と。

握っているようにはとうてい見えなくて、ただお米をこねているだけなのに、一生懸命握ろうとしているんですよ。

思わず、私が握るから貸して!とお米を取りあげ、握りました。涙がポロポロ出てきました。母に隠れて、いっぱい泣いてしまいました。

その前の晩から、「明日東京に戻るんだな」と考えて涙が出ていました。

そんな情緒不安定だったのに、そのおにぎり攻撃があったものだから、もう涙腺崩壊でした。母に見つからないように、必死で隠していました。

高速バスに乗って、見送りにきていた母を遠くから見ました。年をとったその姿に、もう涙とまらないです。向こうから中が見えていないのをいいことに、私はずっと母の姿を見ていました。

バスが発車してからも、暫く泣いていました。母と、別れたくなかった。

特に仲良く話したとか、そういうわけではないけれど。母の気持ちがなんとなく見えてきて、私が生まれてからこのかた、母にしてきた冷たい態度も思い出して、お詫びの気持ちもどんどん湧いてきて。

元日に私は一人で外出したのですが、その間、母は家で映画を見ていたようです。私が帰宅したら、「あの映画、よかったよ。感動して、涙ぼろぼろ出ちゃって、困ったよ。一人で見てよかった」なんて言っていました。

そうか。母も、泣くのか。私の見ていないところで、泣くのか。

きっと・・・ひとりで、たくさん、たくさん、泣いてきたんだろう。父を亡くし、私が病気になり、母は、一体どれだけの涙を流してきたんだろう。

そのことに考えが及ばず、ただただ母を責めてきた自分が、恥ずかしいです。

相も変わらず、母は口が悪いです。思ったことをストレートに発する人です。だから、私とは言い合いになります。だけど、それらが、私を嫌ってのことではなかったのだ、と、今は思えます。

母と会えるのは、これが最後かもしれない、と、なぜか強く思っていました。それは、私の体のこともあるし、年をとった母の姿のせいでもあります。だから、母の姿を目に焼き付けておこう、と、母に気付かれないように後ろ姿をしょっちゅう目で追っていました。

この帰省で私は母と写真を撮りたいと思っていました。写真館で。今回は、母が怪我をしていたので諦めましたが、話はしました。

「お母さんと一緒に写真を撮ったことないじゃん?だから、一枚くらい、撮ろうかなと思って。んで、遺影も撮っておきたいんだ。弱った姿の遺影じゃ嫌だからさ。遺影なんて縁起でもないって感じだけど、遺影を撮ると長生きするらしいよ!だから、お母さんも一緒に撮っておこうよ。どっちが先に使うかわかんないけどさ(笑)」

母は、嬉しそうでした。「そういや、彩と写真とったことないもんね。いいね。今度東京に行ったときに一緒に撮るか。」

母は、きっと、私が幼い頃から変わらず、私を愛していたんだろう。そのやり方は、正しくなかったかもしれない。でも、その時々の母の気持ちは、少しずつ解ってきました。

こんな娘を育てるのは大変だったと思う。

ピアノに触れながら、そこに座って雷の音に泣きじゃくっていた小さな私を思いました。その子に言ってやりたい。

あなたのお母さんは、あなたを嫌いで放っといてるんじゃないんだよ。あなたを育てるために、一生懸命働いているんだよ。


まとまりのない文章でごめんなさい。母への思いを、思いつくままに書き連ねてしまいました。これを、母が読む機会はあるのかなぁ。あったのなら、伝えたいです。今まで、ずいぶん長い間、ごめんね、って。そして、ありがとう、って。

今年の始まりは、こんな具合で、良い感じです。なにやら良い一年になりそうです。母のことを整理して考えられるようになったのは、このブログのおかげ。ひとつひとつ文字にしていくことで、見えていないものが見えてきました。

だから、これからもこのブログにいろいろな思いを綴っていきたいと思っています。まとまりのない内容になりがちだけど、どうぞよろしくお願いしますm(__)m にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ
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プロフィール

彩

Author:彩
2012年12月、S状結腸癌再発。腹膜播種、卵巣転移。
初発は2010年ステージ3aでした。根治手術からちょうど2年後の再発でした。
現在は、標準治療を終えて、ホスピスで緩和ケアを受けています。
東方神起の復活まで生きたいなー。ムリかな(^^;)

2016年3月20日永眠

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