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M病院での出来事その2。

昨日の続きです。

M病院でS状結腸の手術を受けたとき、硬膜外麻酔をされました。

「されました」って、変? ふつうは「してもらいました」ですよね。

私は、背骨に金属が入っています。脊椎の一番下の骨(腰椎になる一つ手前の骨)を以前粉砕骨折したため、チタン製の輪っかを背骨に入れて、2本のボルトで固定しています。日常生活には全く影響のないこのボルトなんですが、これが硬膜外麻酔の際に、ものすっごく邪魔になるのでした。

ということを、がん研で言われました。がん研での手術は卵巣摘出術だったのですが、このチタンのせいで、硬膜外麻酔を入れられない、と。むりくり入れても、麻酔したい部位には届かない、と。

だから、がん研では一昔前の麻酔でがんばったのですが、M病院では、硬膜外麻酔をされたんです。(がん研でそれを伝えたら、うーーん、とうなられてしまいました。)

卵巣とS状結腸では微妙に位置が違うから、M病院の判断は「硬膜外麻酔はいける!」というものだったのかもしれません。

手術前に、あの丸まった姿勢で何度か針をさされ、「やり直し~」といわれ涙流しながら耐えたのですが。

術後に、それは起こりました。

痛みがとれない。

それどころか、ものすごい幻聴と幻覚が私を襲いました。

生まれて初めての、幻聴と幻覚。術後2~3日めに、私の耳には、ついているはずのないテレビの音が聞こえ、来ているはずのない当時の夫の声が聞こえ、来ているはずのない親戚や兄の車のナンバープレートがはっきり見えていました。

看護師さんをつかまえ、「兄たちが来てるから、病室を知らせてやって」と言っても、当然看護師さんは、「なに言ってるの?」

でも、私にははっきり見えていました。何度も看護師さんに訴えました。

後になって兄や親戚にきいたけど、来ていなかった。でも、その時の私は、見えるもの(幻覚)を信じてた。幻覚の自覚がなかったから。

そして、異常な幻聴がピークになった時。

巨大台風が東京を直撃するから、入院患者を避難させろ、という声がきこえました。廊下をばたばた走る音がしました。「術後の患者をストレッチャーに載せて!」という声も聞こえました。

そして、私の目には、ベッドの隣にあるストレッチャーが見えました。

これも幻覚でした。でも、その時ははっきり見えてて、とにかくこのストレッチャーに移らなければ!と思いました。

さらに「もういやんなっちゃう!彩さんがストレッチャーに移ってくれないのよ!」という、看護師さんの声も聞こえてました(幻聴)。

私は、迷惑かけちゃいけない、と必死になって、ストレッチャーにむかってゴロゴロ転がりました。

そして。当然、そこにストレッチャーなんかありません。私は、ベッドの下に転がり落ちました。

頭真っ白でした。「なんで、落ちるの?なんで、ストレッチャーがなくなってるの?」

そこへ、看護師さんが来ました。彼女の第一声は、

「ちょっと!なにやってんのよ!」でした。

私は見えてたものを必死に説明したけど、当然、それは信じてもらえなかった。そして、看護師さんたちの、「何考えてんのよ!」「面倒かけないでよ!」「管が外れちゃったじゃない。どうしてくれんのよ!」という罵声の中で、たったの一言も「大丈夫?」とは声をかけてもらえず、ベッドに戻されました。そして、柵をされ、自分でおろさないようにきつく言われました。

いま思えば、あの看護師さんたちの罵声も、幻聴だったと思いたい。

正気になってから、自分の幻聴と幻覚に気づいて、診療内科を受診したいと申し出ました。

心療内科の医師の診断では、術後の錯乱状態で、誰にでも起こるものだといわれました。私が、麻酔の影響ではないのかただすと、「その可能性はある。でも、もう幻覚がなくなったのだから、いいじゃないですか」とのことでした。

私は、麻酔を疑ってます、今でも。痛みはとれず、量だけ増やされ、幻覚や幻聴が出始めても、さらに投薬されていました。麻酔医が何度も病室に来てました。手術が終わったのに麻酔医が病室に来る用事なんて、あんまり考えられない。

主治医であり執刀医である外科医師は、「麻酔医のミスとは考えられない」の一点張りでした。

私は、とにかく早く、病院と縁を切りたかったので、その後懸命に歩く練習をして、10日ほどで退院しました。


いやな記憶です。

そんなM病院のネット上での評判は、やはりよくありません。入院中に同じ病室に入ってきた3人の女性がいたのですが、3人とも救急搬送。容体が落ち着いたら、全員が近所の医大病院へ転院しちゃいました。カーテン越しにきこえた会話では、「この病院で手術をするのは、絶対いやだ」とか、家族の人が「ここは評判が悪いから、あっちの大学病院に移ろう」とか言ってました。

それが正解でしたよ。私も、もっと真剣にとらえて考えればよかったと後悔しました。

そのとき縫合した箇所が、いま隆起して腸が狭まっているんです。がん研の執刀医が教えてくれました。決して「手術が下手だった」とは言ってませんが、「もう少しうまく縫合できてれば良かったんだけど」と言ってました。最初からがん研でやってればよかったな。

さて、いっぱい毒を吐いたところで、寝ますか。おやすみなさいです。
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M病院での出来事その1。

S状結腸癌の初発は、2010年8月に判明しました。その年の9月に入院手術、その後翌年6月頃までユーゼルUFTで再発予防をしてました。(ま、再発したわけですが。)

前にも書きましたが、初発の治療をした病院は、都内23区内の、某M総合病院でした。名前を出したいとこですが、ガマンします。かりにも一度は命を救ってくれた病院だし、当時のスタッフとは変わってるかもしれないので、無益に悪評を広めるのはどうかと思いまして。

そう、悪い記憶ばかりなんです。

最初に「痔です!」と誤診された第一印象から悪かったわけですが、その後も。

執刀医が、術後に、当時の夫に癌の切片を見せたのですが、元夫いわく「ピンセットでコロコロ転がしながら話してたけど、検体って、あんなふうに扱うもんなの?」だったらしい。切り取った腸は10センチくらいの長さだったと思うけど、「人の体の一部を扱ってるとは思えなかった」そうです。

また、術後、生理になってしまった私は、動けない体で大出血してしまいました。シーツまで汚すくらい。看護師さんに「すみません。。。」と恐縮しきりだったのですが、看護師さんは、

「ちょっと、〇〇さん(別の看護師の名)!きてきて!みてー。すごい出血!」「わー、ほんと!今度の研修会の材料ができた!」

と・・・二人、楽しそうに、わくわくした表情でナプキンを交換してくれたのでした。恥ずかしくて泣きそうになりました。

ちなみに、がん研でも、歩行練習をしてたときに大出血してしまったのですが、がん研の看護師さんは、小さな声で「あら、出血してる。でも大丈夫、誰も見てないから、このまま病室に戻ってでとりかえようね。」と、そっと隠して歩いてくれました。

また。M病院での手術当日の夜、ナースステーション近くの病室に他の術直後患者とともに入っていたのですが、頭の上のモニターみたいなのが、ずーっとピコンピコンって、赤く点滅してるんです。おそらく、体にくっつけたいろんな装置がずれたりして異常値になってるだけなんと思うけど、ずーっとピコンピコン。他の患者さんのモニターも同じく。なのに、看護師は誰も来ない。

いいのかなー、ほんとに異常だったらどうすんのかなー、などと朦朧と考えてたのですが、いきなり、私のモニターが、青に変わりました。鮮やかな青が点灯したまま、けたたましいブザー音が鳴りました。

と同時に、廊下で、「ちょっと!青になってるよ!!」と慌てた声がしました。その声のあと、笑った看護師の声がきこえてきました。「大丈夫だよー。どうせ、機械が外れたんでしょ。」

そして、看護師がきました。「ほら、なんともないじゃん。」私は、ききました。「青色って、どういう意味なんですか?」

すると看護師は、「死んだときは青になるの」みたいなことを言いました。言葉は違ってたかもしれない。でも、こういう意味のことをはっきり言いました。

怖かったですねー。これがもし、機械が外れたんじゃなくて、本当に心肺停止とかだったら、どうするんでしょう。青点灯の前にずっと点滅してた、赤点滅。これが本当の異常だったら・・・その結果の青だったら。。。

その翌日、病室を移ってからも、再び苦しむことになりました。

続く。 にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

がんの初発の経緯。2010年夏~秋。

2010年8月
下血。トイレで、スプーン一杯くらいの鮮血でした。同時に激しい右下腹部痛があったので、救急車に乗って、M病院へ行きました。近くの病院はすべて受け入れ拒否だったので、M病院へ連れていかれました。このときは、「痔です」との診断。ちなみに、下腹部痛は、救急車の中で自然消滅。

翌日、外来受診。やはり「痔です」。」

すごく心配だったので、大腸内視鏡検査を希望。

数日後、大腸内視鏡で、S状結腸癌発見。ステージⅡだろうとのこと。痔は、なかった。(おいっ)


2010年9月
手術。廓清したリンパ節に転移が見つかったため、ステージⅢaに格上げ。

術後、再発予防の化学療法。ユーゼルUFT。内服のみ。←気休め程度らしい。

2011年夏頃
抗がん剤終了。その後再発なく、2012年に至る。


初発のときは、自覚症状は、下血まで全くなし。ただ、職場の健診で血便を指摘されていました。

ただの切れ痔??くらいに思って。仕事を休んで再検査に行くのも気が引けたのでね。

その約8か月後に、下血となりました。

下血と同時に出現した、右下腹部の痛みは、結局、原因不明でした。うなるくらいの痛みだったんだけどなぁ。腫瘍が原因なら左の下腹部のはずだし。。。

ただ、この時の手術で、右卵巣が少し腫れているのが見つかったそうです。良性腫瘍で、一緒に切除してもらいましたが、今思えば、これが痛みの原因だったのかも。

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

彩

Author:彩
2012年12月、S状結腸癌再発。腹膜播種、卵巣転移。
初発は2010年ステージ3aでした。根治手術からちょうど2年後の再発でした。
現在は、標準治療を終えて、ホスピスで緩和ケアを受けています。
東方神起の復活まで生きたいなー。ムリかな(^^;)

2016年3月20日永眠

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