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大晦日にあたり。

ただいま帰省中です。スマホからの更新ですが、スマホから打つのは得意ではないので、短文にしようと思います。文章を纏めるのが下手なのですが、がんばります!

で、今は実家にいます。母も兄も相変わらず。このブログでよく触れる母は、ニコニコしています。私がニコニコしているからでしょうね。太った私を見て、

「彩は今のほうがいい顔してるよ。前は目ばっかり大きくて、顔中が目みたいだったもん」ですと。

顔中が目って。

肉が付いた頬に満足気な母です。

こう書くと、まるで私が病気で痩せていてその後元気になって太ったように聞こえますが、違います。病気になる前のほうが、スリムだったのです(ーー;)

前置きが長くなりました。

今年も今日で終わりますが、なかなか良い年だったかな、と感じています。治療効果もそれなりにあったと思っているし、仕事も私なりに頑張りました。

そりゃ、元気いっぱい思う存分働いた!というわけにはいかなかったけど、現状の私としては満足。。。に近い。。。かな?(笑)

一昨日が私の仕事納めだったのですが、ペアで働いている変わり者の社員さんが、

「彩さん、今年すごーく頑張ってくれたから、お昼おごってあげる!」と言って、ファミレスに連れていってくれました。

ファミレスでも十分、嬉しかったです。だってその人から奢られるなんて、思ってもみなかったから。

私の後釜として雇った女性は結局クビになり、その後も何人も面接しましたが、採用に至る人は現れませんでした。だから、私を大切にしてくれているのでしょう。

昨日は、高速バスに乗って帰省したのですが、思えば再発の手術をしてから丸2年、東京から出たことがありませんでした。

と書いて思い出しましたが、神奈川には行ったなぁ。東方神起のライブ等で新横浜に4回、かな。

それ以外には東京を出ていなかったので、昨日はバスで県境を越えたとき、なんだかワクワクしちゃいました(笑)

動き回れるって、いいな。嬉しいな。ありがたいな。

田舎は、雪が積もっています。3年ぶりの田舎です。人や車が少なくて、とっても静かです。

そして、風が冷たいです。ここでエルプラットをやったら、辛そうだな。

昨夜、母と話していて、涙ぐんでしまいました。だって、お金の心配しないで治療しなさい、って言われて、いい大人な私が親のお金を当てにしなければならないのが情けなくて。

治療をやめてフルタイムで働けば、自分の生活費くらいは自分で稼げる。だから治療をやめてもいい、と言う私に、母は、治療をやめるなと言う。

どんな事をしてでも、命は大切にしなさいと言う。そのためにお母さんに心配をかけるとか考えるなと言う。

それが、親心なのかな。母だって裕福なわけではないのに。

そうそう。先日かいた記事で、ピアノの調律を毎年してくれている、という話がありました。このブログの読者さんから「感動した」という有り難い感想も頂きましたが、

昨日の母。「ピアノはもう、売っちゃっていいかなぁ?今年は調律してないのよ」だって(^◇^;)

感動もつかの間、おいっ!って感じでした(笑)

さて。明日からは2015年です。来年は、もっと出歩いていろんな所に行きたいと思っています。

とはいえ、お金のかかる遠くへは行けないので、都内でちょこちょこ色んな場所に足をのばしてみたいな。

今年一年、ブログで知り合った皆さんにもたくさん支えて頂きました。ありがとうございます。

そして、天国へ旅立った大切な友人もいます。

色んな思いが去来します。

来年が、皆さんにとっても私にとっても良い年になりますように。

「良い」って、とても抽象的な表現だけど、一人一人にとっての「良い」ことって、それぞれ違うと思うから。

だから、皆さんにとって「良い」年になりますように。そして、私が自分にとって良い年にできるように。

来年も変わらぬお付き合いを、お願いしますね(*^_^*)

。。。結局長い文章になっちゃったかな(笑)
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お腹が痛かったので。

今日は、なぜか特にお腹が痛い一日でした。おへその横にある腫瘍の痛み、です。

この痛みの対策に、ロキソニンとトラマールを毎日毎食後に服用していて、最近は落ち着いていたのですが、今朝、ベッドの中で痛くて目が覚めてから、ずっと痛い。

腫瘍の場所が腹筋の中だからなのか、腹筋を使う動きが痛いので、立っているだけでもとても痛くなってしまいました。仕事中は気も張っていたからまだよかったけど、帰宅して気が緩んだら、もう痛い。

さっき、夕食の準備をしていたら、もうどうにも痛くなって、キッチンでしゃがみこんでいました。

痛い。痛い。痛い。だんだん涙が滲んできて、なぜだかワンワン泣いてしまいました。子供みたいに、「痛いよー」って。

そしたら、どんどん不安が膨らんでしまいました。この程度の痛みがこんなに辛くて、この先どーなる?

もっともっときつい痛みが待っているんだよ、きっと。本当の苦しみは、これからなんだよ?

どんどん不安になって泣いていて、誰かに電話しようかと思ったけど、こんな気持ちを伝えられても困るだろう。だから、一人で泣いていました。

思いっきり泣くことにしました。

ひとしきり泣いて、「おい、彩!そんなんでどーする!泣いてどーする!」と自分に突っ込む元気が出てきて、泣きやみました。

よし!我慢していた分は、泣いた。またしばし、元気で頑張れる(^^)

ストレス発散もそうだけど、泣きたい気持ちも、発散しておく必要があるな、私の場合。

こわくて触れずにいたお腹の腫瘍、さっきおそるおそる触ってみたら、大きくなってる(--;)こないだ撮ったCTの結果がこわいなぁ。とりあえず、来年の4月。4月までは、おとなしくしていてほしい、この腫瘍。

4月。何があるかといいますと。東方神起のライブです。チケット、当選しましたーーーーーーーーヽ(*^o^*)丿

東京ドームの再追加公演。先日の「京セラオーラス詐欺」で果てしなく落ち込んだあとに、再追加にて再び訪れた、オーラス公演(たぶん)。神様が、微笑んでくれたのかな。ありがたい限りです。 にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

勝ち負け。

私は以前、製薬会社の開発部門に勤務していました。バブルが弾けて数年たった頃だったけれど、製薬業界で外資。年収は同年代の女性の会社勤めとしては良いほうだったと思います。


当時、転職を考えて、某大手転職サイトに履歴書や職務経歴書を登録しました。その後退職したわけですが、そのとき登録していたサイトから、今でも時々メールが来ます。登録解除すべきなのですが、パスワードを忘れてしまい、それを調べるのも億劫で、そのままにしています。

登録内容は、現役の頃の私のキャリアのまま。退職したことは記載されておらず、今でもその会社で働いていることになっているはずです。

その経歴書を見て、サイトからのメール以外に、今までに2回ほど、とある企業からスカウトメールが届きました。年齢的に、管理職待遇でした。

その提示年俸は、約1500万円。

すごっ。って思いました。私、あのまま働き続けてきちんと出世してたら、今頃1500万も稼げているんだ!

1500万の年収があったら・・・・・・・・いろんな代替療法ができるな。とりあえず高濃度ビタミンC点滴と、岩盤浴と、フコイダンと、水素水は試してみたいなー。

などと・・・実際の「年収1500万」の生活をしたことがないので、夢が小さいかもしれません(笑)

重粒子線治療?とかも?できちゃったりするのかな。いや、それはお金云々ではなく、私の病態的に適応ではないか。

あ、東方神起のライブを観に韓国に行けるな( ´艸`) 発売されるCDやDVDを我慢することもないんだな( ´艸`)

・・・「年収1500万」になったことがないので、やはり発想が貧困です。これを読んでいる「年収1500万」以上の方からしたらおかしなことを言っているかもしれません。


そういえば昔。MBA取得を目指して勉強していた時期がありました。

MBA。Master of Business Adminisitration・・・でしたっけ。経営学修士、でしたっけ。

海外の某大学の大学院に進学してMBAを修得するのが夢でした。だから、仕事の帰りにGMAT対策の専門学校に通っていました。GMATとは、簡単にいうと「海外の大学院の入試」みたいな感じですかね?

その専門学校の帰り道、同志のみんなとおしゃべりしていたのですが、みんなお金の話題しかしていなかった。MBAっていえば、コンサルとかできますから。私はお金とは違う目的でMBAを取得したかったのですが、周りはお金儲けの話で持ちきり。それがだんだん嫌になってきて、MBAの目的ってなんだろう、って悩み始めて。悩み始めたらもう、GMATの勉強にも疑問を持っちゃって、あとはもう、下降の一途。私程度の学力でも入れてくれる大学院の申し出すら断わってしまい、そのまま、夢破れて終わりました。

結局は、私の意志が弱かったのと、学力不足なわけですね。

あのとき、もっと頑張って目的を確固たるものにしてMBAコースに邁進していたら、もしかしたらこんな私でもMBA取れたかもしれなくて(かなりギモンではあるけど、可能性として、ね)。MBAを取ってコンサルか何かになっていたら、それこそ年収1500万円どころではなかったよなぁ・・・。

なーんて考える、現在時給せんすうひゃく円のパートの私( ´艸`)

この人生って、見方によってはものすっごい、「負け組」なんだろな。勝ち組負け組って言い方も古いけど。

だけど。今の自分は、あんまり、自分を「負け組」って思ってないんだよね。仕事も結婚も失敗してしかも癌になってるのに(笑)なぜだろう。

後悔はいっぱいしてきたし、やり直せるならやり直したいこともあるけれど、それでも今、こうやって生活できる。それだけでも幸せなんじゃないか、って思う。ようにしてる(笑)

だから、負けたと思わないんだろうな。

いま「負けた」と思う事でやり直しがきくのなら、「負けた」と思うことに価値はあるのだろうけどね。

結局のところ、人生に勝ち負けをつけるとしたら、それは周囲の人間ではなく、自分自身なんだろうな。


でもやっぱり年収1500万の生活、してみたかった( ´艸`) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

父の命日。

今日12月19日は、父の命日です。8年前、73歳でした。

癌を患っていた父ですが、再発は無く、死因は別のものでした。以前にも記事にしたかと思いますが、改めて。

当時、父は、体調が悪くて検査入院をしました。どこが悪いのか外来では判らず、検査入院になったわけですが・・・

入院先の個人病院で、誤診されて、それに伴った誤った医療を施されて、そのまま亡くなりました。検査入院してからわずか数日だったと記憶しています。

当時の私は、鬱病が最も酷い状態でした。東京にいる私の所に、母親がしばしば上京していました。私の自傷行為がひどい頃だったので、両親はとても心配していて。私は私で、外出するのが怖くて、公共の乗り物にも乗れず、田舎に帰ることができずにいたと思います。(もう記憶が薄れている)

父はといえば、その何年か前に直腸がんを患った際、人工肛門だけは嫌だと拒否したため、トイレがとっても近い状態になっていました。そのため、家に閉じこもりがちに。もともと若い頃から丈夫ではなかった人なので、あまりアクティブではなく、ひたすら仕事に打ち込んでいるような人でした。

父は私をとてもかわいがっていました。年を取ってからの子供だったせいもあるのかな。兄のことは厳しく育てたようですが(おかげで兄は今でもしっかり者)、私のことは猫かわいがりだったと聞きます。

なので、鬱病でめちゃくちゃな生活を送っていた私のことを、それはそれは心配していたそうです。だから、自分の体調が悪くても、母を私のところへ遣わしたらしい。母は母で、上京するたびに父を心配していました。今思えば、体力的にも精神的にも一番大変だったのは母だったかもしれません。

そんなふうに私が母を借りてしまったから、父は、田舎で一人で過ごす時間が多くなりました。

そして、体調を崩し、先述したとおり、検査入院に至って、亡くなりました。

私のせいで、父は亡くなったのだと思いました。

父が亡くなる前々日、兄から「お父さんが危ないから帰ってこい」と連絡を受けていました。兄と母が、父についていました。

私はすぐに帰省の足を予約して、次の日に帰るつもりでした。

が。その朝になっても、どうしても、外に出られませんでした。うちのマンションから線路が見えるのですが、その電車に乗らなければ、と思うのに、どうしても怖くて、一歩も外に出られませんでした。そして、思いました。

「お父さんが死ぬわけない。大丈夫だろう。」

帰省しませんでした。

父は、ベッド上で、恐らく麻薬の副作用だと思いますが、錯乱状態だったそうです。温和だった父が、別人になっていたそうです。それでも、幻聴と幻視の中でも、私の名前を呼んでいたと、後から聞きました。

その日の夜中、たしか、日付が変わってすぐくらいに、亡くなったと知らされました。

夜が明けてすぐ、田舎に向かいました。もう、怖いとかいう感情はなかったと思います。ただただ悲しくて、後悔ばかりで、電車に乗ったのだと思います。

そして、高速バスの中で、前日に帰らなかった自分を激しく責めました。

対面した父の顔は、残念ながら、穏やかとはいえませんでした。苦悶しているわけではないけれど、苦しみがあふれた表情でした。口の周りには、何か器官を入れられていたのか、大きな擦り傷がありました。

錯乱状態で、ベッドに手足を縛りつけられて、私の名前を呼んでいた。

泣きました。今までの人生で、一番激しく泣いたと思います。


最後に父に会ったのは、その年の夏休みでした。たぶんその年、です。(鬱のころの記憶は本当にあやふやですみません。日記でもつけていればよかった。)

そのころの私は、父を鬱陶しく思っていました。母に、「なんで彩はオレを嫌うんだろう」とぐちっていたくらい(^^;)

嫌いではなかったけど、たまーに家に帰ったときの干渉がうざかったんだと思います。干渉といっても、父にしてみれば、ただ沢山話しかけていただけ。私が、それを鬱陶しがっただけ。

だけど、その夏は、父に優しくしたいという気持ちがむくむくと湧いてきて。父が何かで病院に行くと言ったときに、「私も一緒に行く!」と言いました。父は、それはそれは喜んで、「彩、どうしたんだ?!」とか言いながら、嬉しそうに車を運転してくれました。

診察の間、「ヒマだろうから、そこらへん散歩でもしてこい」と言う父に、私は、「ここで待ってる」と、ロビーにいることにしました。

診察を終えて、少し離れた場所からこっちへ歩いてくる父の姿が見えました。私を見つけると、なんともいえない笑顔を見せました。照れたような、困ったような、でも、すごく嬉しそうな。

その笑顔は、今でもはっきり覚えています。黄色いTシャツを着ていたのもよく覚えています。(派手なのは母のシュミ)

それが、父との最後の思い出になりました。

私が父の用事に付き合うなんて、大人になってから初めてだったかも。私の中で、何かを感じとっていたのでしょうか。

その休みも終わって、再び上京するために高速バスに乗りました。父と母が見送ってくれたのですが、バスが発車するとき、母は車を降りて手を振っていましたが、父は、車を移動させるために運転席で後ろを見ながらバックさせていました。

顔は見えなかった。それが、生前の父を見た最後でした。

父が亡くなって、私の鬱は一時期、よくなりました。が、いろんな後悔があって自分を責めたり、または別の環境因子などのせいで、再び鬱が悪化して、父のところに行きたい、と何度も思ったりしました。

やっと、いま、メンタルは元気になりました。父は、私の鬱病をとても心配していたそうです。だから、治った姿を見せてあげたかった。

今は癌だけどさ。

父は私の癌を知りません。天国から見ているのだろうけど、まさか、娘が癌になるとは思うまい(笑)


今朝、夢を見ました。73歳のままの父が、元気に登場しました。目が覚めたとき、ほっこりしました。

哀しみはいつまでも消えないけれど。あの人の娘に生まれてきて良かったな、なんて、今頃思ったりもしています。

顔がでかいとこ、似たくなかったけどね(^^;) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

ふつうに幸せ。

更新が一週間ぶりになってしまいました。今回のエルプラットも、きつかった~。

吐き気が、いまだに抜けません。それに加えて、腹部の腫瘍の痛みがどんどんひどくなって。立って家事をしていても、昨日はしゃがみこんでしまうほど痛くて。

痛み止めのトラマールを飲むと、気持ち悪さが増して。もー、いや(笑)

そんなこんなでしたが、昨日からだいぶ復調し、散歩に出ました。

夜、近所をうろうろしただけですけどね、いつも通る道の街灯が光っているのを見て、それだけで嬉しくなりました。

歩くって、いいことだなぁ。外出できるって、いいことだなぁ。

抗がん剤やら癌やらで体調が悪い日が続くと凹むけれど、今は、こうして必ず、また復調する。

そんな時間が重なっていくことって、幸せなんだな、って思いました。

いまドラマを観ながらこれを書いています。「ディア・シスター」。石原さとみちゃんの笑顔が、大好きです(^^) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

XELOX 27コースめ 通院。

昨日、通院してきました。いま体調が悪いので、自分のためのメモ書きです。

通院途中、電車の中で気分が悪くなり、途中駅で下車。30分ほど動けなくなったが、なんとか通院。

血液検査、尿検査、胸腹部レントゲン、婦人科、消化器科、腫瘍精神科、ケモ(XELOXとアバスチン)、CT。

診察にて。腫瘍マーカー上昇が止まらないため、セカンドラインに進むことになる。

私:FOLFIRIは2週間通院が不可能なので、FOLFIRIの3週間おき投与か、IRISにしたい。

医師:セカンドラインでFOLFIRIを行なったときの奏効率は約1割。けして高い数字ではないのに、さらに3週間おきにしてしまうと、効く確率がとても低くなる。そんな治療を勧めることは私にはできない。IRISならば、同等の治療効果が得られていて且つ3週おきのレジメンだから、やるとすればIRIS。当病院のセカンドラインとして標準治療には採用されていないが、患者の希望で実施は可能。

ただ、IRISはFOLFIRIに比べて毒性が高い。ひどい下痢はどちらも発現するが、IRISのほうが、脱水症状など命の危険にかかわる高度の下痢がよく見られる印象。自分が治療してきた患者をみていての印象である。そして、実際のデータ上でもIRISのほうが毒性が高い。

私:IRISも怖いから、やはりFOLFIRI3週間おきにしてもらえないか?

医師:それは、勧められない。さっきも言った通り、効く確率がひくくなっちゃうから。

私:でも、2週おきのレジメンでは、仕事を失ってしまう。仕事ができなかったら治療費も払えなくなる。どうしたらよいのか?

医師:たしかに、治療効果と同様に、患者さんの生活を保つことも重要な問題だから、トータルに考えて治療を選択するべき。いずれにしても、今日のCTの結果を踏まえて、次回までに決めましょう。今日のCTで腫瘍が小さくなっていたら、XELOXで行けるかもしれないし。
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術後2年。

正確には、明後日12日。再発の術後2年が経過します。明日が抗がん剤の投与予定なので、たぶん明後日は体調が悪いだろう、ということで、いま書くことにしました。

初発の手術は、2010年9月6日でした。ステージ3aだったので、根治可能。大きな手術は人生2度目だったので、緊張もせずに受けた手術でした。ま、受けた病院ではいろいろな問題がありましたが。

その後、約2年たった2012年の11月に、再発しました。卵巣転移で卵巣が腫れ上がっていたわけですが、お腹の膨れ具合からして、再発したのはもっと早い時期だったのだろうと思います。お腹が大きくなって「太ったかな」と気にしだしたのが9月だったので、その時には転移していたわけですね。ちょうど職場の異動があった時期で、新しい職場でお腹の大きさを気にしていたのは記憶に残っています。

がん研に移って卵巣摘出の手術を受けたのが、2012年12月12日。12時でした。

転移が確定し、腹膜播種も確認され、抗がん剤しか手がないと言われ。抗がん剤治療をすれば2~3年は生きられるよ、と医師から言われ、ショックを受けたあのときから、2年が過ぎました。

元気に生きてるなぁ(^^;)

手術のその日、飼っていたワンコが死にました。自分の手術よりも、そっちの記憶のほうが強く、濃く残っています。ワンコが、私の命を救ってくれたのだと思っています。代わりに天国へ一足先に行ってくれたのだと思っています。

ワンコ・・・。今でも時々、夜中に私を呼んでいるような気がするときがあります。そんな時は、骨壺を置いている部屋にいって、骨壺を抱っこして、ヨシヨシします。本当は土に埋めないといけないのかもしれませんが、そのままにしています。そばに置いておきたくて。

ワンコを、ワンコの手術のために動物病院に手渡したのは、私が入院する当日の朝でした。12月10日のことです。

ワンコの手術が終わって私の手術も終わったら、また一緒に暮らすと思っていました。ワンコと離れたときも、とくに言葉は掛けなかった。獣医さんに任せれば絶対に治ると考えていました。

獣医師の腕の中で、去っていく私を見て必死で手足を伸ばしてばたついた、ワンコ。あのときの瞳は、今でもはっきり覚えています。初めて見た、不安そうで悲しそうな瞳。もう鳴けなかったから声は出なかったけど、動けなかったはずのワンコが必死にばたついていました。

その瞳を、なんで振り切ってしまったかなぁ、私は。その瞳に永遠の別れを直感しながらも、そんなはずはない、と、振り切ってしまった。あそこでもう一度ワンコのそばに近よって、せめて頭を撫でてあげればよかった。

抱きしめてあげれば良かった。

そのまま、ワンコは、天国に行ってしまいました。誰にも看取られず、寂しかっただろうな。怖かっただろうな。痛かっただろうな。苦しかっただろうな。

私の育て方は上手じゃなかったから、ワンコと私の関係は、ワンコのほうが上位だったような気もします。だけど、あの時の瞳だけは、「置いていかないで」って、見えたんだよね。

それとも・・・・「がんばってね」の瞳だったのかなぁ。「応援してるよ」の瞳だったのかなぁ。

ワンコが幸せではなかっただろうとの後悔が私にはあるから、余計に哀しみを引きずっているのかもしれません。

今度ぽぷらに会ったら、絶対に絶対に絶対に、幸せにしてあげたいなぁ。いっぱい遊んで、おやつもいっぱいあげる。天国ではもう太りすぎとか気にしなくていいし、私も仕事がないから、ずっと一緒にいて、いっぱい遊ぼう。広い場所を走らせてあげよう。だから、待っていてほしい。



ダメだ、自分の手術の話をしていると、どうしてもワンコの話になってしまいます。ごめんなさい! にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

XELOXの副作用(現状)

最近、まったく触れていなかったので、ここらで一回、副作用の状態(私の場合)について記しておきます。

XELOX療法(ゼローダ+エルプラット+アバスチン)の副作用としては、吐き気や胃腸障害などが有名ですが、どちらも、普通にあります。

それ以外で、困っているのは、粘膜障害なのかな?口の中が荒れていること。口内炎と言ってよいのかな?舌がとても荒れています。

おかげで、辛いものが全く食べられなくなってしまいました。以前は、辛いものが大好きでした。キムチとか辛いカレーとか。ラーメンなどにも胡椒を入れたり。

でも、今は、辛いものを食べると口内がヒリヒリと痛くて痛くて。この前、きんぴらを作ったのですが、普通に唐辛子を入れたつもりなのに、まー辛い事。口の中が痛くて、何も食べられなくなる。仕方ないので、きんぴらをお湯で洗ってみました。

それでも辛くて、もう一度洗ってみました。やっと食べられる程度の味になったけど、それはそれは不味かったです(笑)

カレーも、甘口しか食べられなくなり、ちょっと悲しいです。ペペロンチーノも泣きそうになります。キムチ鍋なんて絶対に食べられません。辛いお煎餅もだめです。とにかく、辛いものは、好きなのに食べられない。

あと、手足症候群。これは、不思議なことに、ほとんど症状がないんです。手の指の第一関節までは黒ずんでいますが、皮がむけたりとかが、まったくありません。指先は常に痺れてピリピリした痛みはあるものの、日常の作業に大きな支障はありません。ときどき、細かい字を上手に書けなかったり、ペットボトルのキャップが開けられなかったりするくらい。

手は、水仕事とかあまりやらないせいかな、とも思うのですが、足には全く症状がないことを考えると、手足症候群という症状自体が、私には出にくいようだと考えられます。

その足ですが、指は痺れているので、下りの階段が怖かったり、急に立ち止まったりとかがうまくできないことがあります。日常生活であまり必要ないですが、立ち仕事をしていると、狭い店内を小回りをきかせて走ったりするので、その小回りがきかなくて棚にぶつかることがあります(笑)

でも痛みはないので、平気です。ゼローダを服用していると、足の裏の皮がむけて歩けなくなるという話をよく聞きますが、幸い、全然そういうことはありません。保湿クリームをせっせと塗っているおかげもあるのかな?

あと減薬しているせいもあるのかな?

手足の指の痺れは、手足症候群じゃなくて、エルプラットの副作用の神経障害だと思います。これはもう、ずっと抜けないのだろうと思っています。

あとは・・・大きな副作用はないです。抜け毛がとても多いけど、それが副作用なのか、季節的なものなのか、年齢的なものなのかは、わかりません。もともと髪の量が多いので、抜けても問題ありません。多分・・・季節的なものかな。

あとは・・・今は休薬期間に入っていて元気なので、あまり症状を思いつきません(^^)

もちろん、投与直後の数日間は、だるさと気持ち悪さで、寝込んでいますが。

副作用とは違いますが、お腹のグリグリ。ここんとこ痛みが少しおさまっていたのですが、おとといくらいから再び、激痛になってきました。痛み止めは、トラマールとロキソニンを、常に切らさないように6時間おきくらいに飲んでいます。

便通は、よくありません。便秘が怖いので、大建中湯とマグラックスを常に飲んで、軟便気味にしています。が、下痢なことが多いかな。ちょっと面倒くさいけど、腸の病気だもん、仕方ない。血便は、しばしばあります。直腸よりも上のほうで出血しているような、血の混じり具合です。

次の通院が来週の木曜日ですが、その日にCTを撮影して、治療効果の測定をすることになっています。マーカーの数値に関わらず、腫瘍が大きくなっていたら、エルプラットからイリノテカンに変えよう、ということになっています。いまのところ。

イリノテカンの副作用が少ないタイプだったらいいな。今は事前にどんな副作用が強く現れるか、調べられますよね。吐き気と脱毛が出ないタイプだったらいいな(><)

こんな感じで、割と元気に過ごしています。今日は友達とお茶しながらたくさんおしゃべりしていました。声が出づらくなっているのですが、これって、副作用なのかなぁ?抗がん剤をやるようになってから、しょっちゅうかすれるのです。喉の痛みなどは、全くなく。

今日は4時間以上しゃべり倒して・・・最後のほうはものすごいハスキーボイスで、ほとんど出なくなってました。それでもおしゃべりって、やめられませんね(^^) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

はやぶさ2? 2号?

正式名称は「はやぶさ2」でいいんでしょうかね?それとも、「2号」?

わりと天文好きなので、今日はTVではやぶさ2の打ち上げの生中継を見てワクワクしていました。すごい緻密な計算で、地球の引力を使って1999JU3の軌道に乗せるっていう・・・「フライバイ」というのですね。勉強しました。

1999JU3というのはご存じの通り、はやぶさ2の目的地なわけですが。炭素でできている星で、直径が900メートルしかないらしい。そんなちっこい星に、何億㎞も離れた地球から、あんなにちっこいはやぶさ2を着陸させようという。(いや、着陸はしないけど。)

TVで言っていたけど、それって、東京からサッカーボールを蹴ってブラジルにいるテントウムシに命中させるようなものだとか?!

大きなロケットが打ち上げられる様子を見て、壮大な計画と実現を思って、なんだか目頭が熱くなりました。このプロジェクトのために働いてきた人たち、どんなに嬉しいんだろう、とか思って。そして、約2時間後にニュース速報のテロップで「はやぶさが軌道に乗った」の一報をみて、また感動。自分の部屋から見える空をながめて、「すごいなー。」とか考えていました。

ところで。はやぶさ2は、1999JU3の地表から石を持って帰ってくるのが使命なわけですが、採取の仕方が、地表に爆弾を打ち込んで、跳ね上がった石を採取するってやり方ですよね。

炭素で出来ている1999JU3には生命体が存在する可能性がある、ということですが、ふと・・・・もし、人間みたいな感覚を持った生命体がそこに暮らしていたとしたら・・・・

いきなり空から飛んできたUFOからいきなり爆弾を打ち込まれて、それはそれは驚くだろうな、と。

だって、存在しないとは言い切れないもんね?

地球の人間社会に置き換えてみたら、大ニュースっていうか、一大事です。UFOから爆弾が、何の予告もなく打ち込まれるなんて!

そんなことが、1999JU3で起こるのか?!なんて考えていました。

我ながら、変なこと考えてしまいます。

そういえば、昔。イギリスに滞在していた頃、現地のローカル列車に乗りながら、牛の群れを眺めていました。日本にはない風景に感動していたわけですが、私がふと、

「牛って、何を考えてるのかなぁ」とつぶやいたら、一緒にいた友達が吹き出しました。

「彩って、変なこと考えるよね。牛が何を考えてるかなんて、普通は気にしないよ!」と大笑いされたのです。いまだに私はそれを覚えているのに、彼女は全然覚えていないらしい(^^;)


はやぶさ2が地球に帰還するのは、2020年。東京オリンピックが終わってからだそうです。持ち帰ってくる石を分析して、生命の起源を探れるのだそう。興味津々です。

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プロフィール

彩

Author:彩
2012年12月、S状結腸癌再発。腹膜播種、卵巣転移。
初発は2010年ステージ3aでした。根治手術からちょうど2年後の再発でした。
現在は、標準治療を終えて、ホスピスで緩和ケアを受けています。
東方神起の復活まで生きたいなー。ムリかな(^^;)

2016年3月20日永眠

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