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火事。。。

昨夜、ご近所で火事がありました。

夜、お風呂に入っていて、そろそろ出ようか、という時に、焦げ臭いことに気が付きました。なんだ?水場なのに焦げ臭い?もしや、使い込んだ浴室用CDプレーヤーが壊れた?と、プレーヤーをくんくんしたけど、なんともない。

変だなー、と思ってお風呂場を出たら、すっごい焦げ臭い。うそ、うち?!と間違うくらい、すごい。サイレンは聞こえず。

なんだなんだ、と、あわてて服を着て窓を開けたら・・・・

すっごい煙!!!!!!うちはマンションの9階なのですが、階下が見えないほど、煙が立ち込めています。

火元は、斜め向かいにある3階建てのアパートだとすぐに分かりました。間もなく消防車のサイレンも聞こえてきました。

煙だけでなく、炎も見えます。うちのベランダから見る限り、出火はそのアパートの3階の、こっち側の角部屋。密集地なので、隣の建物と隣接しています。隣は、まだ入居前の新築マンション。その壁にまで火が届きそうです。

うちのマンションまでは、道路を1本挟んでいるので、大丈夫そうではあったものの、怖くなって、洋服を着て外へ出ました。避難したほうがいいのかな、と思って。

消防署の人がマンションから出てきた私をみて、「もう大丈夫ですよ。」と言ってくれたので、そのまま部屋に戻りました。

でも火の手は衰えず、私は不安で、ベランダから見ていました。オレンジ色の服を来た消防士さんが何人も、燃える部屋に入って行って・・・・映画でしかみたことないようなシーンで、現実感が乏しかった。

やがて火が消えて、青い毛布でくるまれた、人体とおぼしき物体がタンカで運ばれていきました。その後、鳴るはずの救急車のサイレ音が聞こえなかったので、心配だったのですが・・・

今朝になって、ニュースで、亡くなったと知りました。

つい昨日まで、普通に生活していた人が、こんなにあっという間に、いなくなってしまうんだな・・・。

私、自分の病気がわかった時から、時間をかけて「死」は怖くない、と思うようになったけれど。

昨夜、燃える火を見ていて、とても怖かった。「うちに燃え移ったら、死んでしまうかもしれない。逃げなくちゃ!」って思って焦りました。やはり、命を、大切に思っているんだ。

当たり前だけど。

火災に遭ったアパートは、古いアパートでしたが、鉄筋だったせいか、燃えたのは一室だけでした。見た感じ、お年寄りが多く住んでいる雰囲気のアパートです。亡くなられた方は未だ身元不明らしいですが、その部屋に住んでいたお年寄りと見られています。

深夜だったので、寝ていて、火事に気付かなかったのでしょうか。119に通報したのも、通行人だったそうです。あんなに燃えていたのに・・・・。隣が入居前のマンションだったのも、不運だったのかな。

その新築マンションも、来月落成予定の大きなマンションなんですが、オーナーさんは驚いただろうな。

火災って、こわいですね。あっという間に、いろんな人の幸せを、一瞬にして奪ってしまう。火の元にはもっともっと気を付けようと思った、昨夜の出来事でした。

今日も、うちのベランダからは、焼けたアパートが見えています。真っ黒に焦げたベランダには、亡くなったご老人が読んでいた本でしょうか。たくさんの書物らしきものが焼け焦げて散乱し、風に舞っていました。天国で、安らかにお過ごしくださいと、願わずにはいられませんでした。
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なんだかなーな日々。

最近、ブログの記事を書く気がなかなか起きません。たぶん、楽しい気持ちになれないからだろうなー。

いやなことばかり書くブログなら、続けたくないし。明るいブログが好きだから。

かといって、明るいフリして更新するような器量も持ち合わせていないし。

気分が重いのは、体調が悪いせいもあるし、仕事のこともあります。またまた新しい人を雇うことになりまして。またまた、私の持ち場を失いそうでして。明後日から、新人さんに、私の仕事を引き継いでいかなければならない。私がしたい、仕事なのに。

やっぱり、治療しながらの勤務は大変ですね。事務仕事でなければ職はありそうだけど、今のお腹の痛みを抱えての立ち仕事は、けっこう辛くなってきている。

そうそう。ウィッグの手配もしました。出費も痛いし、ウィッグへの不安もいっぱい。自転車で通勤しながら、「もう自転車通勤は無理かなぁ」と思ったり。髪が風になびくたびに、暗い気持ちでいっぱいになります。常にビル風が強く吹いているのでね。

抗がん剤治療のためにウィッグを使っている女性のお話をきくたびに、大変だろうに明るくてえらいなー、なんて思っていたけれど・・・いざ、自分の身に降りかかると、その覚悟はかなりなものなんですね。耐えてきた皆さん、本当に尊敬します。

先日、勤務先の薬局にリアップを買いに来たお客さんがいたのですが、

「女の人はいいねー。禿げる心配がなくて。」と笑って言われました。なんだか、むかつきました。

さて。この暗い気分は、あとどのくらい続くのでしょうか?FOLFIRIを始めてしまえば、案外ケロッとできるのでしょうか。

昨日は、久しぶりに東方神起のDVDを見ていました。ここんとこずっと、東方神起関連の記事を見ないようにしていたので、久しぶりに再会したような気分でした。やっぱり、いいですね。なんの雑音も評論もなく、純粋に好きって思う自分の気持ちだけで楽しめるのって、いい。 にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

体調悪し。

ここのところずっと、体調がよくありません。一番困っているのが、腹部の痛み。

「おへその横のグリグリ」と呼んでいましたが、その大きさはもはや「ぐりぐり」ではなく・・・。手で触った感じでは、7㎝くらい幅があるような。

これをCTで見ると、「2.5㎝」と言われます。CTの画像は断面図だから、厚みが2.5㎝で面積が7㎝幅くらいのひらべったい塊が、お腹の中にできている、っていうイメージなのか?でも、主治医は「腫瘍以外のものも手で触れているから大きく感じるのでは?」との見解。

なるほど。そうかも。思ってるより小さくて、たいしたことないのかも。それに、ネットで「筋肉にできる腫瘍」を調べると、「筋肉内にできるのは良性なことが多い」と書いてある。もしや、私のコレは、癌ではないのでは?!

と、すこーし期待しましたが・・・

手術の時の細胞診で「悪性」と診断されていたことを思い出しました(--;)

いずれにせよ、この塊が大きくなるにつれて、痛みが増しています。こないだの月曜日は、初めて、職場で具合が悪くなってしまいました。

仕事でパソコンに向かっていたら、どんどん具合が悪くなってきて、のぼせたような、変な感覚になってきて、我慢していたらどんどん手が震え始めて。どうも表情に出ていたようで、一緒に働いていた人から「具合悪いの?大丈夫?」と声をかけられて、もう、アウト。

「すみません、ちょっと。。。」と事務所へ避難して、机につっぷしたまま、起き上がれなくなってしまいました。本当は横になりたかったけど、そのスペースもなく。

そのうち、お腹の塊が痛み始めました。すっごく痛くなって、涙が出てきて、「いたいよー、いたいよー」と、事務所で泣いていました。

早退していいよって言われたけど、家まで帰り着く自身もありません。なのでそのままうつ伏せになって丸まっていました。

そのうち・・・15分くらいしてからかな、なんとなく、頭の中がはっきりとしてきました。お腹の痛みも、我慢できる程度に。だから、そのまま仕事を続けました。

職場の人には心配をかけてしまい、申し訳なかった。

次の治療が入院治療で、ただいま病院の空きベッド待ちなので、かれこれ6週間、治療していません。その間に確実に大きくなっている、腹部の腫瘍。内臓ではないので生命にはかかわらないとはいうものの、腹筋なので、何をするにも痛みます。くしゃみをすれば、激痛です。

痛み止めのトラマールを、今までは最小用量で飲んでいましたが、倍量にしてみました。そしたら、かなり痛みは軽減されました。でも、その副作用なのか、便通が難ありという感じです。

FOLFIRIは怖いけれど、こうなると、早く治療したい・・・・かなぁ・・・。

そういえば、話は変わりますが、反抗がん剤派の人に寄せられたコメントで、こんなのがありました。曰く。

「ネットを見ていると、抗がん剤を拒否して無治療で治っている人が沢山いるし、食事療法だけで治った人も沢山いる。」

この、「沢山」という言葉。危ないと思います。抗がん剤をせずに治った人は、その多くがもともと抗がん剤に反感を持っている人なわけで、その嫌いな抗がん剤を使わずに治った日には、嬉しくてその情報を発信するでしょう。

一方、標準通りに抗がん剤治療をして治った人は、いちいちその情報を発信する人は少ないんじゃないかな。だって、「当たり前のこと」をやったつもりでいるから。

だから、ネットに載っている声だけ拾えば、抗がん剤なしで治った人の割合って、案外多いと思う。だけど、実際には、抗がん剤で治った人の数の方が、圧倒的に多いと思う。

だから、ネットに載っている数だけで「沢山の人がそれで治っている」と解釈するのは、違うと思う。それを踏まえた上でなお、抗がん剤治療を否定するなら、それはそれでアリだと思うけど。

そんなことを考えながら、現代のネット社会で、情報が氾濫する中で、情報の取捨選択の難しさに頭を悩ませている、今日この頃です。

とりあえず、このお腹の痛いの、なんとかならないかなー。


(訳あって暫くコメント受け付けない状態にしますので、ご理解をお願いします。) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

うちの娘の話。

「うちの娘が幼いころ、私はとても苦労してきました。一番困ったのが、娘が学校へ行きたがらなかったことです。

これは保育園に通園していた頃からなのですが、ほぼ毎朝、必ず泣きわめきました。私も仕事を持っていたので会社へ行かなければならないのに、毎朝学校へ娘を送り届けてそのたびに大泣きされて、園や学校の先生に娘を抑えつけてもらってやっと、出勤できるような状態でした。

どうして娘は、こんなに学校が嫌いなのか。上のお兄ちゃんは元気に通ってくれているのになぁ。娘は私を困らせるために泣いているのではないかと思えてくるほどでした。

困らせるといえば、私の勤務先にも時々電話をかけてきました。私は仕事中だというのに、そんなのお構いなく、「一人が怖い」といって泣きながら電話をかけてくるのです。私の立場を全然考えてくれないみたいです。やっぱり困らせたいのかなぁ。

上のお兄ちゃんは本当に良い子に育ってくれて、お手伝いも率先してやってくれるし、私がいなくてもお友だちと一緒に良い子に遊んでいてくれるので、手がかからなくて助かりました。娘もお兄ちゃんのことは大好きなようで、一緒に遊んでいました。お兄ちゃんがいてくれて、本当によかった。

それにしても、毎朝の泣きわめきには、ほとほと困っていました。学校の何がそんなに嫌なのか、私には理解できなかった。だって、いじめられている様子もないし、私が出勤してしまった後は、普通に授業を受けて友達と遊んだりもしていたようなんですよ。

ただ私と離れるときにだけ、大泣きするんです。やっぱり私を困らせるのが目的だったのでしょうか?

そんな娘を可愛くないと思ってしまう事もありました。娘が何を考えているのか、全然わからない。でも、私は母親だから。娘のことも、お兄ちゃん同様にかわいがって育てる義務があります。

とはいえ・・・当時私は、まだ30代前半でした。私だって、遊びにも行きたかったんです。夫は優しい人ですが、子供たちを育てるために、働くのに必死でいつも残業していました。事情があって経済的に恵まれなかった家庭なので、2人の子供を養うために、夫も私も一生懸命だったんです。

だから、仕事を終えて家に帰ってきて、夕食を作って(娘は好き嫌いが激しかったので、娘用に別献立を考えたりして、楽ではありませんでした)、お風呂にも入って、やっとゆっくり夫と会話をもてる、と思っている時間に、娘に「おかあさん」とくっついてこられるのが、うざかった。そういうときは、「お兄ちゃんと一緒に部屋で遊んでいなさい!」と追い返しました。ちょっと、冷たかったかな?

そんなふうに私にまとわりついていた娘ですが、なぜか、夜中に突然トイレで吐くことがあったようです。私は寝ていて知らなかったのですが、お兄ちゃんが娘の背中をさすって、面倒をみていてくれたようです。

娘はどうして、そんな苦しんでいるときに、母親である私を頼ってくれないのか?といまだに疑問です。お兄ちゃんにきけば、「お母さんには言わないで」といって、吐いていたらしい。どうして、そういう時にこそ、私を頼ってくれないのでしょうか?

私が働きたいときには、仕事場に行かせてくれなかったくせに。私のことが嫌いなのでしょうか。

娘は、大きくなってからも、やりたい放題でした。大学だって、お兄ちゃんは我が家の経済事情を考慮して国立に入ってくれたのに、娘は東京の私立に行ったんですよ。「私が学びたいことは、都会の私立でないと設備がない」とか言い張って。

就職するときも、娘は「海外で学びたいから、就職は一時的なもの。給料のいいところに入ってお金を貯めて、お金がたまったら留学する」と言って、お給料だけで会社を決めたんです。当時はバブルだったので、就職先は選び放題だし。

そんな折でも、お兄ちゃんは、先を見据えて公務員になったんですよ。バブルに浮かれていた娘の給料よりも安いサラリーで働くお兄ちゃんは気の毒に見えましたが、今となっては、お兄ちゃんは完全に「勝ち組」ですよね。

本当によくできた息子です。それに比べて、やりたい放題の娘。やっと結婚したと思ったら離婚してしまうし。仕事だって、今は正社員ではなくなってるし。

挙げ句の果てに、癌ですよ。そんな娘を見るとね・・・やっぱり、かわいそうになってしまうんですよ。子供のころ、どんなにわがまま三昧した娘でも、病気になるのは、可愛そうです。どんな子でも、私の娘です。私の子供です。そりゃ、心配ですよ。

代わってやりたいと思いますよ。私にできることは、経済的に支援することだけだけど・・・それが娘の役に立っているのかいないのか、私にはわかりませんが、最近の娘は、以前とは変わったようです。

私に対して、丸くなってくれました。47年間、娘を育ててきて、初めて私に対して優しくなってきたように感じています。

娘が幼いころにはとっても苦労をかけられたけど、もしかしたら、娘が泣きわめいて学校に行きたがらなかったのは、母である私と離れたくなかっただけなのかとも思います。泣いた理由は、当の娘自身もわかっていないようですが。」


↑↑↑
きっと、母がブログを書いたら、こんな感じかな、と思いながら、書いてみました。

私が泣いて学校へ行きたがらなかったのは、たぶん、母親と離れたくなかっただけ。でも親からしたら、「私を困らせる子供」にしか見えなかったのだろう。

私は毎日、母が帰宅した時の、車庫に自転車が入る音を待ち望んで、その音がするとものすごく嬉しかったくせに、そんなことは母には決して伝えなかった。私を可愛がらない母親にそんな姿を見せたくなかったのかも。親からしたら、そっけなくて可愛くない子供だった。そして、期待したようには私を可愛がってくれなかった母親に、不満を募らせたのは、私。

母娘でも別々の人間だもん。お互いの考えてることって、完全には理解しきれてなくて、片方が一方的に思いこんでいることでも、話し合ってみたら実は、誤解だったってことも、あるんだろうな。


昨日まで、5連勤で働いていました。こんなに長い休薬期間は初めてなので、それをよいことにシフトに入れまくってもらいました。さすがに疲れちゃいましたが、たくさん仕事ができるって、嬉しいです(^^) にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

セカンドラインへ。

前回の記事には、たくさんの注目と拍手をいただき、ありがとうございました。特に拍手を3ケタいただけたのはこのブログ始まって以来だったので、とっても嬉しいです。

拍手=賛同、だと思っているのですが、この数を見る限り、「母と娘」で同じような問題を抱えている方が多いのかな、と思いました。仲良し母娘よりも、悩んでいる母娘のほうが多いのかな。私の周囲でも「母とうまくいっていない」という話はしょっちゅう聞きます。私自身もそうだったし。一番近しい存在だからこそ、もつれてしまうのかな。

母については、まだ思うことがあるので、いずれこちらに書きたいと思っています。(悪い話ではないですよ^^)


さて。昨日は通院日でした。XELOX療法の28コース目の予定でしたが、中止になりました。なぜならば。

年末に撮ったCTと、腫瘍マーカーとで悪化と判断されたのです。とうとうセカンドラインに進むことが決定しました。

XELOX、長く効いてくれていたんだけどな。

腫瘍マーカーは14.8で、基準値は上回っているものの、それほど高くはない。ですが順調に(?)右肩上がりを続けていて、そのカーブも変化なしのため、もはや効いていないだろう、との判断。腹筋の腫瘍も大きくなっていました。

次は、病院のガイドラインではFOLFIRIになるのですが、これは2週間おきのレジメンのため、昨年末に私が拒否していました。2週間おきの投与では、仕事を続けられないから。

IRISならば3週間おきなので、そっちが良いとも思うのですが、主治医からは「副作用がきつい」と聞いていたので、FOLFIRIの3週間おき投与にしてもらう気満々でした。

主治医も、しぶしぶながら、FOLFIRI3週間に同意してくれたので、それで進む予定です。副作用が不安なので、初回投与は入院させてもらうことにしました。家で一人でいる時に重大な副作用が出たら怖いのでね。

ベッドが空いたら入院できるわけですが、その連絡が来るのは前日です。だから、仕方なく勤務先にその旨を伝え、その場合は休みをもらえるように手配しました。「入院」と言ったら、案の定ビックリされてしまいました。とても心配されたけど、これこれこういう入院なんですよ、と説明したら、「それならいいけど・・・」と言ってもらえました。やっぱり心配してくれてるんですね。

当たり前か(^^;)

昨日の病院は、年明け最初の週ということで、とても混んでいました。そのためか、渡された薬に間違いがたくさんあって修正に2時間も待たされ、最後はブチ切れてしまいました。

ミスに切れたんじゃないですよ。担当者に反省の色が全く見えなかったことに、切れたのです。サービス業とは言わないけれど、一応、患者を2時間も待たせるようなミスをしたなら、謝るべきだとも思うんです。なのに、なんかヘラヘラされたので。そのヘラヘラ態度に対して、「ブチっ」と切れてしまいました。こんなこと、今の病院に通い始めて以来、初でした。

帰り道、自分の大人げなさを反省するとともに、「病院内で評判が悪くなったらどうしよう」って心配になりました。私も肝っ玉が小さいです。

さてさて。FOLFIRIにしろ、IRISにしろ、髪が抜けます。ヅラ、どうしよう。高いよな・・・。てか、どこで買えばいいのやら?困ったな。まだなにも調べていません。

しばらくは、美容院にもいけないんだな。と思ったら悲しくなったので、明日行くことにしました!早速予約をとりました( ´艸`)

短く切って、パーマかけて、少し早いけど春っぽくふわふわにしてもらうつもりです。

4月の東方神起のライブが終わるまではXELOXで頑張りたかったけれど・・・こうなっちゃったもんは仕方ないな。今までと変わらず楽しむためにはいろいろな苦労が出てくるかもしれないけど・・・・

がんばります。だから、助けてください。 にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ

年明け早々、涙々。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

と、ご挨拶したのはよいのですが。一昨日から、涙がずるずると止まりません。

悪い話ではないんですよ。寧ろ、良い話のほう。

30日に田舎に帰り、昨日まで母と過ごしていました。3年ぶりに訪れる実家。2年前に母と大喧嘩をし、それ以来ろくに会っていなかったし話もあまりしてきませんでした。

たまに電話で話す母は、元気そのもの。なので、元気に迎えに来てくれると思っていました。

が。実際母は、両手と足を傷めていました。右手の親指に痛み止めの湿布を貼り、左手はギプスで固定。膝は水が溜まるとかで、水をぬいてもらったばかりのようでした。

良く見たら、手の指は全部曲がっていました。若い頃の綺麗だった手の面影もなく、痛そうです。

なのに、いっぱいの笑みで笑っています。きっと、弱音も吐きたいだろうに、私の前では笑っている。そして、私の体の心配ばかりする。

母は、私が幼い頃、いつも仕事に行って家にいませんでした。一緒にいて欲しいときに、絶対にいてくれなかった。母に抱っこされた写真は1枚しかありません。

よく憶えているのが、子供のころ、一人で留守番をしていたら、雷が鳴り始めたとき。怖くて怖くて、泣きながら母に電話をしました。母は、もちろん戻ってきませんでした。代わりに、言いました。

「ピアノを弾いていなさい。そしたら、雷の音が聞こえなくなるから。」

私は、ピアノを一生懸命ひきました。

母は、私のことなんか好きじゃないんだ、という気持ちは、その頃から徐々に作られていったのだと思います。

私を生まなければ良かったと言ったことも、つい最近まで心にひっかかっていました。

だけど、今の私なら、一時の感情に流されて言ってしまった言葉だろうと思えます。私が癌になってからの2年間、母はいつでも私を最優先にしてくれました。それは分かっていた。だけど、心のどこかで、「それが親の義務だから、私に優しいだけなんだ」と思っている自分もいました。

でもね。昨日、家を出る前に、母がおにぎりを握ってくれたんです。湿布から出ている4本の指と、ギプスの上からビニールを被せた手で。お米がぐっちゃぐちゃになって。どう見ても、握れるわけがなくて。

「なにやってんの?」って聞いたら、彩のおにぎりを握るんだ、って。

前の晩、おにぎりを持っていくかと訊かれたので、持っていくと答えました。でも握れないだろうから、私にぎるよ、と言ったのに、お母さんが握るから、いいよ、と。

握っているようにはとうてい見えなくて、ただお米をこねているだけなのに、一生懸命握ろうとしているんですよ。

思わず、私が握るから貸して!とお米を取りあげ、握りました。涙がポロポロ出てきました。母に隠れて、いっぱい泣いてしまいました。

その前の晩から、「明日東京に戻るんだな」と考えて涙が出ていました。

そんな情緒不安定だったのに、そのおにぎり攻撃があったものだから、もう涙腺崩壊でした。母に見つからないように、必死で隠していました。

高速バスに乗って、見送りにきていた母を遠くから見ました。年をとったその姿に、もう涙とまらないです。向こうから中が見えていないのをいいことに、私はずっと母の姿を見ていました。

バスが発車してからも、暫く泣いていました。母と、別れたくなかった。

特に仲良く話したとか、そういうわけではないけれど。母の気持ちがなんとなく見えてきて、私が生まれてからこのかた、母にしてきた冷たい態度も思い出して、お詫びの気持ちもどんどん湧いてきて。

元日に私は一人で外出したのですが、その間、母は家で映画を見ていたようです。私が帰宅したら、「あの映画、よかったよ。感動して、涙ぼろぼろ出ちゃって、困ったよ。一人で見てよかった」なんて言っていました。

そうか。母も、泣くのか。私の見ていないところで、泣くのか。

きっと・・・ひとりで、たくさん、たくさん、泣いてきたんだろう。父を亡くし、私が病気になり、母は、一体どれだけの涙を流してきたんだろう。

そのことに考えが及ばず、ただただ母を責めてきた自分が、恥ずかしいです。

相も変わらず、母は口が悪いです。思ったことをストレートに発する人です。だから、私とは言い合いになります。だけど、それらが、私を嫌ってのことではなかったのだ、と、今は思えます。

母と会えるのは、これが最後かもしれない、と、なぜか強く思っていました。それは、私の体のこともあるし、年をとった母の姿のせいでもあります。だから、母の姿を目に焼き付けておこう、と、母に気付かれないように後ろ姿をしょっちゅう目で追っていました。

この帰省で私は母と写真を撮りたいと思っていました。写真館で。今回は、母が怪我をしていたので諦めましたが、話はしました。

「お母さんと一緒に写真を撮ったことないじゃん?だから、一枚くらい、撮ろうかなと思って。んで、遺影も撮っておきたいんだ。弱った姿の遺影じゃ嫌だからさ。遺影なんて縁起でもないって感じだけど、遺影を撮ると長生きするらしいよ!だから、お母さんも一緒に撮っておこうよ。どっちが先に使うかわかんないけどさ(笑)」

母は、嬉しそうでした。「そういや、彩と写真とったことないもんね。いいね。今度東京に行ったときに一緒に撮るか。」

母は、きっと、私が幼い頃から変わらず、私を愛していたんだろう。そのやり方は、正しくなかったかもしれない。でも、その時々の母の気持ちは、少しずつ解ってきました。

こんな娘を育てるのは大変だったと思う。

ピアノに触れながら、そこに座って雷の音に泣きじゃくっていた小さな私を思いました。その子に言ってやりたい。

あなたのお母さんは、あなたを嫌いで放っといてるんじゃないんだよ。あなたを育てるために、一生懸命働いているんだよ。


まとまりのない文章でごめんなさい。母への思いを、思いつくままに書き連ねてしまいました。これを、母が読む機会はあるのかなぁ。あったのなら、伝えたいです。今まで、ずいぶん長い間、ごめんね、って。そして、ありがとう、って。

今年の始まりは、こんな具合で、良い感じです。なにやら良い一年になりそうです。母のことを整理して考えられるようになったのは、このブログのおかげ。ひとつひとつ文字にしていくことで、見えていないものが見えてきました。

だから、これからもこのブログにいろいろな思いを綴っていきたいと思っています。まとまりのない内容になりがちだけど、どうぞよろしくお願いしますm(__)m にほんブログ村 病気ブログ 大腸がんへ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 病気ブログ がん 闘病記(現在進行形)へ
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プロフィール

彩

Author:彩
2012年12月、S状結腸癌再発。腹膜播種、卵巣転移。
初発は2010年ステージ3aでした。根治手術からちょうど2年後の再発でした。
現在は、標準治療を終えて、ホスピスで緩和ケアを受けています。
東方神起の復活まで生きたいなー。ムリかな(^^;)

2016年3月20日永眠

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