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再発の告知 その1

たしか、2012年の11月6日だったと思うんです。再発に気づいたのが。もうすぐ1年ですね。(なんで詳しい日付を憶えていないかというと、ちょうどその頃スマホが壊れて、記録が全部すっとんでしまったからです。あー、日記がわりに保存しておいたのに。つくづく、紙媒体って良かったな、と思った次第です)

(たぶん)11月6日、区の子宮がん検診を受けに近所の婦人科を訪れました。その頃の体の状態は、卵巣がパンパンに大きくなっていたのですが、自覚症状はなかったため「ずいぶんお腹が太ったなぁ」というものでした。ちょうど職場の異動や研修、資格試験などでバタバタしていたので、ストレスで食べ過ぎて太ったんだろう、くらいに思っていました。気持ちは元気だったのでね。

今にして思えば、ウエスト回りだけが太るという、典型的な卵巣腫瘍パターンだったのですが、当時はそんなの知りません。

私の腹を見た医師は即座に、保険診療に切り替えると言いました。そして、「なんで受診しなかったの。この大きさは異常です。すぐに大腸癌の治療をした病院に行きなさい」と言いました。

その病院の帰り道は、泣きながら歩いていました。「癌が再発したかもしれない」という事実に。(医師の口調は、こうして文字にするときついですが、実際は穏やかでいたわってくれているのがひしひしと感じられました)

人のいない路地に入って、座り込んで泣きじゃくりました。友達に電話して「死んじゃうよぉ」と泣きました。

さてさて。その後、めぐりめぐってがん研有明病院を受診。(経緯は、ここ

卵巣嚢腫の疑いなので婦人科を受診しました。たまたま紹介された先生は「卵巣がん 権威」で検索したらトップに出たような有名な先生で、事前にYouTubeで先生の話す動画を見ていたので安心していました。映像の通り、穏やかで、お年寄りですが目は鋭い先生。その先生が初診の最後に「一緒にがんばりましょう!」と、手を握ってくれました。これ、ポイント高かったです。安心感が違いました。

その時の予測では、良性かもしれないし、境界悪性かもしれない、というものでした。もちろん、悪性の可能性もありました。が、私はなんだかお気楽でした。(一度だけ、「たぶん良性ですよね♪」と言ったとき、「そんなに簡単に考えちゃいけない!」と叱られましたがw)とにかく、診断のためには開腹しなければなりません。卵巣なのでね、カメラも入らないし細胞診もできない場所ですから。

そして、入院・手術と続きました。手術は2012年12月12日12時。12ばっかりで、よく憶えています。朝一の手術ではなかったことも、私に「たいした病状ではない」と思わせる一因でした。

のんきに入院してのんきに手術を受けました。手術に合わせて上京してくれた母も、のんきでした。私のことより、同時期に体をこわしたワンコのほうが心配でした。母ともワンコの話ばかりしていましたね。「ワンコの手術、大丈夫かなぁ」って。

後に、ワンコは、私の手術の日の朝、死んでしまっていたことがわかるのですが。(ダメだ、まだ涙が出ます)

自分自身のことは全く心配せず(だって大きな手術は3度目だし)、手術室に入っても看護師さんたちと笑っておしゃべりして、婦人科の主治医の先生も麻酔がかかる前に来てくれて、「間に合ってよかった~」なんて手を握ってくれて、主治医と別の執刀医の先生も笑顔で、安心しきって麻酔にかかりました(笑)

(主治医は高齢のため、手元が心もとないということで、執刀からは引退したそうです。でも担当患者の大きな手術には立ち会い、執刀医に指示を出しているそうで、判断は全て主治医が行うとのことでした)

私は寝てるだけなので、手術はすぐ終わりましたよ^^。12時過ぎに入室して、17時頃には麻酔から覚めていたと思います。不確かだけど。

麻酔から覚めて、まず質問したのは、「子宮は残っていますか?」ということでした。

術前の説明では、

①まず卵巣を摘出する。腫瘍が大きい(数キロありました)から両卵巣全摘。

②術中の迅速診断で「悪性」と診断されたら、子宮と大網も摘出する。「良性」であれば、子宮は残す。

というものでした。「境界悪性」だった場合はどうなのかは憶えていません、ごめんなさい。

とにかく、“子宮が残っていれば悪性ではない”と思っていました。

だから、麻酔がさめてすぐ、そこにいた看護師にききました。「子宮は残ってますか?」「ハイ^^。」
そっかー!!悪性ではなかったのね^^。

そして、母に。「子宮を残してくれたんだから、悪いもんじゃなかったんだね。」「・・・うん。」
「ぽぷ(← ワンコ)は?」「・・・うん。大丈夫みたいよ。お母さんも詳しくきいてないの。」← このとき、もう死んじゃってた。

目が覚めてしばらくして、主治医が術後回復室に来てくれました。青い手術着姿でした。なんか、こんな早くに医師が会いに来てくれるって、前はなかった・・・。いい先生だな~(← のんき)

先生は、おだやか~な目で、悟りの境地のような笑みをたたえていました。この表情が、ものすっごく記憶に残っています。私が「とったのは卵巣だけなんですよね。手術も早く終わったんですよね。良かったです^^」みたいなことを言ったら、微笑んで、「うん。手術はうまくいったからね。大丈夫だよ。これから、一緒に治療していこう。心配いらないからね」みたいなことを言いました。

ん?これから、治療?すんだのに?良性なのに?

ちょこっと不安になって、「なんか・・・悪い物だったんですか?」と聞いたらば、「今は眠りなさいね。なんにも心配いらないから。」そう言ってくれました。その後の記憶がないので、私は眠っちゃったのかもしれません。

少したってから、今度は執刀医の若い女医さんが来てくれました。

「傷は痛くない?」と聞いてくれて、ハイ、と目を合わせたら、ふっと視線をそらしたんですよ。先生、なんで目をそらすの?なんで目を見て、「無事終わりましたよ」と言ってくれないの?

だんだん、不安になってきました。先生にその不安を告げると、先生は困ったように微笑んで、「手術は成功したのよ。予定通り。だから、心配することはないの。大丈夫よ」と言ってくれました。私より10も若い先生ですが、私は、「成功」ときいて安心したし、先生の言葉は信じるに足る落ち着いたものでした。

その夜は、術直後の、長い長い夜でした。気持ち悪さと痛さで朦朧とする中、「大丈夫、なんともない。心配いらない」と自分に言い聞かせていたと思う。

さて。手術後の、本人への病状説明がありますね。待てど暮らせど、この説明の予定が入れてもらえません。傷口の化膿があって退院時期も遅れたのですが、あの程度の化膿なら退院させられたはずなのに、私の「化膿が治るまで、こわいから入院していたい」との希望をきいてくれました。

その間、ワンコの死を知らされ、ベッドで泣きじゃくったりもしていました。

やがて、手術の結果を聞くことになりました。一人でききました。

ここで、初めて、「腹膜播種」を聞かされることになります。

ながーくなってしまったので、続きます。

(以前の記事と同じことを書いている箇所もあると思いますが、新たに読まれた方にも解り易く書きたいと思ってこうなっています。読みづらい点、ごめんなさい。)
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コメント

No title

臨床医に必須なスキルの一つに“ポーカーフェイス”、同じく看護師は“愛想笑い”、これができないと患者は不安になりますね。
今は癌の本人への告知は当たり前になってきているので、その必要性は低くなってきているのかも知れませんが、「良い医者や看護師は良い役者にもなれるな」と入院の暇なときに思っていました。

会社の人たちや家族も気を遣って演技してくれていますが「一番の役者は私自身だな」と感じることが多いかな(^^ゞ

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No title

大丈夫?彩さん‥。
わたしがS状結腸がんで根治手術したのが去年の11月15日。ステージⅢa。そのころ彩さんもとっても、とっても辛い日々だったんだね。

今は振り返ることもできるのだろうけど、振り返ってまたもっと辛くならない?

大丈夫かな‥。

なんだかハッキリしない日が続いていますね。
気分的にも晴れやかにならず…早くスッキリとした秋晴れにならないかなぁ~

腹膜播種…そんな経緯で彩さんは、知ることとなったんですね。
私の場合は、もっともっと事務的にズバリ今後の余命を含めて先生から聞かされました。
ショックすぎて、座ってた椅子から崩れ落ちそうでしたよ。

今、一体何を言われているのか?
私の話?
って、頭真っ白になり…あまりその時の記憶がありません。
酷い体験でした…あれほどまでの強烈なショックは後にも先にもありません。
現在は、多少の開き直りと前向きな気持ちでの治療に専念していますけどね。

また続きを読ませて下さいね!
お大事に…

そうなんだ~

なかなか言ってくれなかったんだ。
実は私もなかなか病理検査の結果は遅くて、病室に来た主治医は顔に出るタイプなのでなんとなく察してしまいましたけどね。

彩さんの場合は根治手術後2年も経ってからの事だし、辛かったでしょうね。
二年で「一安心」、三年で「ふぅう~やっと」、五年で「ばんざい」と聞きましたが。

辛い思い出を書いてくれてありがとう、彩さんが元気に過ごせてると嬉しいよ。

>毒遊さんへ

なるほど、私も役者になっているときがあるのかなぁ。。。ありますね^^;特に職場。

看護師は笑っていればいいけど、医師は、きっと看護師より責任が重いから、心労の大きさは察するにあまりあるのかも。私の手術の執刀をした女医さんは、ポーカーフェイスではいられなかったけど、患者のことをとても思いやってくれる人です。だから、不安にはなったけど、大好きな先生です^^。

>なっちぃさんへ

心配させちゃって、ごめんね。ありがとう。全然、元気なのよ~(笑)

なっちぃさんも同じ頃に手術していたんですね。仲間、仲間♪

振り返るのは、もう大丈夫になったからだよ。振り返って切なくなるのは、いまはワンコのことだけ。

振り返るとね、私の場合、その時の辛さを乗り越えられたんだ!って、勇気が出たりもするの。正直いって、この先どうなるかを考えるほうが、落ち込みます。

だから、続きも書く気満々なので、よかったら読んでね。来週になると思うけど。元気だから、安心してね。

>ruruさんへ

台風がとりあえず近づかなくて、良かったですね♪

腹膜播種をきかされた時はね、私も、自分を自覚できないような、なんともいえないショックを受けましたよ。大腸がんなら肝転移とかは想定内だったんですけどね(なかったのですが)、まさか、腹膜播種は、想像していませんでした。

詳しくは続きの記事で書くつもりなので、来週になると思うけど、よかったら読んでくださいね。

私も、ruruさんと同じく、開き直っています^^。悔やんでも仕方ないし。かといって、あまり先の将来を見つめるのも怖いんですけどね。まだ。

今は、とりあえず何か月か先の楽しみまでを考えて、毎日を過ごしている感じです。必要以上に病気と向き合いすぎるのも違うと思うからね。

>麻花さんへ

たぶん、医者は、知らせるタイミングを見計らっていたんだと思います。術後で弱っているところに、予想以上に悪かった、なんて言ったら私がどうにかなっちゃうと思ったんじゃ?!

詳しくは続きの記事に書くつもりなので、よかったら読んでくださいね。今週末は東方神起なので、来週になると思いますが(笑)

病人の自覚なしですね^^;
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プロフィール

彩

Author:彩
2012年12月、S状結腸癌再発。腹膜播種、卵巣転移。
初発は2010年ステージ3aでした。根治手術からちょうど2年後の再発でした。
現在は、標準治療を終えて、ホスピスで緩和ケアを受けています。
東方神起の復活まで生きたいなー。ムリかな(^^;)

2016年3月20日永眠

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